欧米人は肉が嫌いだった
もともと日本人は草食系、欧米人は肉食系。欧米では大昔から脂したたる獣肉にむしゃぶりついていた・・・。
実は違うらしい?そうなったのは19世紀になってから、というお話です。
『文明を変えた植物たち』という本を読んだんですが、私たちは「知ってるようで知らないことばかり」ということを、ホント、感じます。
この本でとりあげている「文明を変えた植物」は、ジャガイモ、ゴム、カカオ、トウガラシ、タバコ、トウモロコシの6種類です。
このうち、まずジャガイモ、次にトウモロコシが欧米の肉食文化を形成する上で大きな役割を果たしたと書かれています。
さて、日本はじめ東南アジアで肉食があまり進まなかったのは、この地域の主食である「米」に良質なタンパク質が多く含まれていたからのようです。
欧米の主食は「麦」ですが、米とくらべてタンパク質が少ないためにどうしても獣肉で補う必要がありました。
とはいえ、馬は戦力に、牛は農耕に、羊は衣料品の素材にと、食用にできる獣肉には限りがありました。
食用肉として一番手っ取り早く飼育できるのが雑食性の「豚」なので、もともと欧米の肉食とは豚肉が主だったようです。
ところが、豚のえさが足りない・・・
餌として牧草や干し草を与えればよいウシやヒツジと違って、雑食性のブタの場合、餌は人間の食料と競合する部分が多い。農民自身の越冬用の食料を確保することがやっとの状況下では、すべてのブタを越冬させるだけの餌を備蓄することは困難であった。
秋の終わりになると、翌年の繁殖用の種ブタだけを残して、ドングリを食べて太らせたブタを一斉に殺してしまい、塩漬けにした肉を翌年の秋まで食べ続けるのがこの当時の基本的な食生活であった。
その塩漬けの肉はとんでもなくまずかったらしい。
これはローマ時代から農村に伝わっている方法で、小さく切ったブタ肉の両面に塩をすり込んで樽の中に並べ、肉の層の間に塩を振って漬け込むものであった。
塩漬肉のまずさはひどいものであったという。塩漬肉はムギ粥やスープに入れて煮込んでから食べるのであるが、煮込んだからといって塩味や臭いが簡単に抜けるわけではない。
とはいえ、長い冬の間、新鮮な肉を手に入れることは、先にも述べた通り不可能であった。タンパク質を摂取するためには、鼻をつまんで我慢しながら、臭くて塩辛い上にまずい塩漬肉を食べ続けなければならなかった。
そこに救世主「ジャガイモ」の登場です。16世紀、インカ帝国を滅ぼしたピサロたちが南米からジャガイモをヨーロッパに持ち帰りました。
これはヨーロッパの食生活を変えたというより、ヨーロッパを飢餓から救い、その後の世界を欧米中心の世界に変える原動力になりました。
ジャガイモの栽培が広まるにつれて、余ったジャガイモを豚の餌として利用するようになった。また、ジャガイモの食料としての価値が高まるほど、白いパンを作るためのコムギ以外のムギ類は食卓から遠ざかっていった。
ビールやウイスキーの原料となる麦芽を作るためのオオムギや黒パン作りに使うライ麦など、一部の用途を除けば、コムギ以外のムギもまた家畜の餌として使われるようになった。
肉といえば、従来スパイスの役割ばかりが強調されてきましたが、実は主役はジャガイモだった。
十九世紀も半ばまでには、ふんだんにある餌のおかげで、冬の間でも食肉用にウシやブタを飼っておける環境が整い、季節を問わず必要に応じて家畜を食用にまわすことが可能になり、いつでも新鮮な肉を食べられるようになっていた。
ヨーロッパの食卓をまずくて臭い塩漬肉から解放したのは、ヨーロッパが求め続けてきたスパイスではなく、伝来当時には「栄養のまったくない、ブタの食べ物」とさげすまれ、食料としては見向きもされなかったジャガイモだったのである。
やがて肉食の普及は世界地図も変えていったのです。
十九世紀後半のヨーロッパにおける一人当たりの肉の消費量は、二十世紀半ば頃と同じ消費水準に達しており、ヨーロッパにおける本格的な肉食の社会が到来したのである。
ともすれば不足しがちだったエネルギーはジャガイモによって完全に充足され、年間を通じて新鮮なタンパク質が十分に供給されるようになれば、国民の体位は向上し、人口は増え、国力は自ずと高まってくる。
近世になってから、ヨーロッパ文明が世界に覇を唱えるようになった背景には、まさにジャガイモの存在があったといえよう。
その後、トウモロコシがアメリカで大量に栽培されることになり、それは配合飼料として、いわゆる「ブロイラー」といわれる家畜の大量飼育の形態を生み、現代に至っています。
しかし、歴史に「永遠の解決」ということはないようです。肉食が飽和した現代では、肥満や成人病、プリオン、自然資源の破壊という新たな問題が生じることとなりました。
私たちは、「世界を変える」といえば科学技術だけを思い浮かべがちですが、ジャガイモのような身近なものがそれ以上に世界を変えてきたわけです。
少し考えの向きを変える必要がありそうです。傲慢な「科学技術信徒」から、謙虚な「自然の理解者」へと。
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