合気道とは愛である

[ 0 ] 2016年2月16日

先日、内田樹(たつる)さんの本が押し入れから出てきたので読み返してみました。

彼は合気道の師範でもあります。

以前読んだことがある、合気道の開祖植芝盛平のことばを思いだしました。

開祖植芝盛平の文章を再読して、私はたまげました!

なんて「つよく・やさしく・うつくしい」思想なのだろう!

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「合気道開祖 植芝盛平」

合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。

世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。

合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。

私はこの事を武を通じて悟った。

敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。

即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。

合気道は無抵抗主義である。

無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。

邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。

では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?

それにはまず、神の心を己の心とする事だ。

それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。

『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。

これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。

だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。

真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。

即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。

勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。

与えられた自己の使命を成し遂げる事である。

この思想から導かれる「訓」は次のようなことです。

一、 「勝つんじゃない、負けないんだ」

一、 「倒すんじゃない、倒れる様に導くんだ」

一、 「合気道は戦わずして、心をサイコロの如し」(開祖大先生口伝)

スゴイ!!

これらの言葉こそ「日本国憲法」に取り入れたらよいのにと、本気で思ってしまいます。

政治も経済も「合気道の精神」で戦略・戦術を考えると、どんな方法がありえるのでしょうか?

それこそが日本の生きる道、しかも価値がずば抜けて高い「まぶしい道」になるのではないでしょうか。

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さて、ついでですが、押し入れから出てきたのは『寝ながら学べる構造主義』という入門書でした。

読み直してみると、構造主義と合気道って何か近いものがあるな~と感じてしまいました。

<どの時代のどの国や民族や集団も、それぞれ固有の言語システムや社会システムをもっている。

その「構造」に私たちは無意識に制約されている。

それぞれに優劣などはない。

あらゆる現象において理解または制御のために、その基層にある「構造」を明らかにしようとする方法論が構造主義とよばれる>

「構造主義」の観点だと、「自分だけが正しい」とか「時とともに進歩する」とか、自己中心的なことは言えなくなるんですね。

「謙虚」「寛容」「柔軟」「知性」という言葉がどちらにもあてはまるように思えました。

だから内田樹さんは、学問のお仕事は構造主義が専門で、なおかつ合気道もしているのかな~

参考
天下無敵の話

BY NOBO

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