50年前に出会った珠玉の言葉

[ 0 ] 2022年7月8日

50年前に読んだ本、当時19歳の私はその本に書かれていた短い言葉が、どういうわけか心に深くささりました。最近、知り合いの女性がアメリカ大陸を千キロトレッキングするらしいという話を聞いて、その本とその言葉が蘇ってきました。先日ついにその本をネットで見つけました。

本の名前は「ハイアドベンチャー」といいます。エリック・ライバックという私と同世代の多感なアメリカ人青年がハイスクールの卒業式をボイコットして、一人カナダからメキシコまでアメリカ西部の山脈を四千キロ縦走した記録です。

著者は縦走の途中激しい孤独感とうつ状態に襲われます。その時彼の心の支えになった言葉が本には書かれています。それはこの縦走以前に彼がなしたアパラチア山脈縦走の途中、彼の母が彼に送ったある切り抜きに書かれていた言葉でした。

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「ハイアドベンチャー」

「22 ふさぎの虫」より

バックス湖で食料を補給して以来、ぼくは孤独感とうつ状態に見舞われた。これまで七十日間、千八百キロの道のりを歩きつづけ、しかもまだ前途には、いままで同様に難行苦行に満ちている少なくとも六十日間の旅が横たわっているわけだ。ハイ・シエラの山系に足を踏み入れてから、ぼくはいままでにない寒さに直面し、砂漠ではこれまで以上の暑さに襲われ、いたるところで岩だらけの地帯やけわしい隆起に出くわし、そして夕べともなれば疲れと孤独感で僕の心は空虚だった。

 

家族が恋しかった。ハイクが終わったときには、ぼくはほとんど五ヶ月間というもの家族から離れていたことになる。夜、ぼくの頭に浮かぶのは、遠く離れた家族のことであり、そこでの生活のことであり、前途の長い困難な日々のことであった。ある意味で、ぼくはワシントン州で経験した、生きるか死ぬかの苦闘がまたあればいいと願っていた。あのころは毎日が生きるための闘いで、ホームシックだとか物思いに沈む余地はなかった。前年アパラチア山脈を歩いたとき、ぼくが精神的に参っていると、母が切り抜きを送ってくれたことがあったが、その記憶を呼び起こしてさびしさを忘れようとつとめた。それはマーク・ヴァン・ドレンに関するライフ誌の記事の切り抜きで、「幸せになるためには、エネルギーがいる、力がいる」という箇所に、赤でアンダーラインを引いてあった。ぼくはその考えを信じそのとおりだと思った。それは家族からのはげましの言葉でもあったから、大事に肝に銘じたのだった。

著者と同じ19歳のその頃、なにゆえ私の心にこんなにも刺さったのか不思議です。当時、多感で神経衰弱的になっていた私は、大自然に逃避というか癒やしを求めていました。植村直己さんの「青春を山にかけて」や加藤文太郎「単独行」などもむさぼるように読んだことを思い出します。東京の大学に入ったときは植村さんが下宿していた柿生のお寺を訪ね、その近くに住もうと思ったこともあります。(東京になじめず一年で中退しました)

山登りに限らず、その後の私の人生行路も挫折続きで大変厳しいものでした。たぶん「なにくそ!」というファイトを与えてくれる言葉が私には特に必要だったのでしょう。

その後、会社を経営するようになって、社員の結婚式の挨拶で何度かこの言葉を引用しました。こんな言葉を引用すると根性論みたいで、今ならパワハラと言われかねないかもしれません。

いつかこの本をもう一度読み直したいなと思っていましたが、書名を「大冒険」と勘違いしていて、今まで見つけることができませんでした。しかし最近のネット検索は高精度で、何個かの単語を組み合わせ、この本をamazonで見つけることができました。半世紀も前の本ですから、古本独特のかび臭さが強いのですが、一気に読んでしまいました。

思春期や青年期に出会い影響を受けた「人」や「本」や「言葉」、それは一生を支えるものになるのだな~、と今さらながら感慨を覚えています。それを「邂逅」というのでしょう。新たな本を読むよりも「過去の邂逅を再び経験する」ことのほうが栄養になるな~、と強く思った数日でした。

 

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