美食のギャラリー

[ 0 ] 2017年10月14日

絵画は歴史の証人でもあります。

それは古い時代の庶民生活についても一目瞭然にしてくれます。

昔も今も変わらぬ「命をつなぐこと」それは食事です。

ここしばらく『美食のギャラリー』という本を、夜な夜な寝床で数ページづつ読んで(眺めて味わって)いました。

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五千年以上前のメソポタミアや古代エジプト庶民の食事やら、ローマ、中世、中国、イスラム、近代・・・人々は何をどのように食べてきたのか?

食を描いた歴史的絵画をふんだんに載せて、著者レイ・タナヒルは長い長い人類の「食の歴史」について一冊の本を著してくれました。

興味をひかれたあれこれをいくつか抜粋して紹介したいと思います。

中にはグロテスクな記事もありますが、私たちにすり込まれている西洋キレイキレイ・イメージの修正に役立つかなと思っています。

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さて、最初の記事はビールがいわば(日本でいえば)味噌汁代わりだったという話です。でもビール発祥のメソポタミアは今イスラム圏ですから、現代ではビールを飲む人はほとんどいないんでしょうね?

紀元前三千年の主食はビールだった

シュメールの農業は進んでおり、組織的で灌漑法が高度に発達していた。大麦パン、タマネギ、ビールは19世紀イギリスのパン、チーズ、ビールに相当した。しかし、裕福な人々は肉、魚、家禽をしばしば食べ、かなり快適な生活を送ったに違いない。肉、魚、家禽は焼くか、野菜あるいは大麦と煮て、シチューか粥のようにして食べた。大麦のパンと果物も食べた。

エジプトでは何百年にもわたり、賃金はパンとビールで支払われた。農夫は毎日パン三個とビールを水差し二杯だったが、要職にある役人は、年俸として精製小麦パン900個、平たいパン3万6千個、そしてビールを水差し3百60杯を受け取った。

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このような庶民の食事とは別に、エジプトの王族は、穀物、肉魚、野菜、果物、酒いづれも歴史上の比較において最大級のすばらしいものを食べていたようです。

おもしろいのは、泥酔を避けるために、宴会では必ず先に「ゆでたキャベツ」を食べていたということです。健康的という点では、ずっと後世のヨーロッパよりはるかに上のようです。

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次はローマの話、ローマ時代が爛熟し退廃期を迎えた頃の貴族の食事は、なんともグロテスクなものが多かったようです。たとえばカワカマスの肝臓、雉の脳、クジャクの脳、フラミンゴの舌、ヤツメウナギのはらごとか・・・

これらは、鉛中毒による食欲減退の裏返しでもあったようです。

ローマ滅亡の理由は鉛中毒だった

ローマのワイン商人は、発酵していないブドウ果汁を内側が鉛の鍋で沸騰させてシロップを作り、そのシロップをワインに加えて保存し、甘くしていた。貧しいローマ人の台所道具は土器だつたが、裕福な人々の台所では鉛の鍋やカップが使われていた。水道管、化粧品、塗料すべてに鉛が含まれていた。ある時期、ローマの上流階級の人々は相当量の鉛を吸収していたにちがいない。そしてもし長期におよぶと、鉛中毒は貧血、体重の減少、便秘(ローマ人はいつも訴えていた)、食欲減退(これによって、少なくともある程度は、好奇心をそそるような異様な料理に夢中になったことの説明がつくかもしれない)をもたらす。また、流産、死産、不妊も引き起こす。著作や人口調査などの資料によれば、実際貴族の出生数は非常に少なく、そして金持ちの多くは早死にだった。

「歴史の裏に女あり」と言われますが「歴史の裏に食事あり」も真実のようですね。

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さて、次は実にショッキングな食事「食人」です。それも未開の地ではなくヨーロッパの中心で行われていたのです。

中世の人肉市場

飢餓に見舞われると日頃の抑制は失われてしまった。病気のライ麦から作られたパンを食べた人々は、気も狂わんばかりに叫び声をあげ、路上に倒れて死に始めた。皮膚は耐えがたいほど真っ赤に腫れ上がっていた(それで聖アントニウスの「火」と呼ばれた)。壊疽の腐敗の臭いが田園地帯をおおう。まだ十世紀のことだったので、その臭いが疫病の原因だと誰もが考えた。

九世紀および十世紀の間フランスとドイツでは、食人の風習がはびこつていた。直接手をくだしたり、隣人を食べたりすることはなかったが、需要は常に供給を生む。人狩り集団が地方を跋扈して旅人を襲い、その肉を料理して近くの市場で売りさばいた。十二世紀に中国北部で飢饉が起きたときのように、彼らは人肉を羊肉ー「二本脚の羊の肉」とさえ-呼んだかもしれない。

しかし社会の一部には人肉と知りつつ好む者がおり、老人、女、少女、子供の肉から作られた料理には、それぞれ固有の名前がつけられたという記録が残されている。おそらくそれぞれに独特の風味があったのだろう。食人の風習は、ボヘミア、シュレージュン、そしてポーランドでは中世の終わりまで根強く残り、たぶんこの事実が背景となって狼男伝説が生まれたと思われる。

第一回十字軍の遠征は1096年、この時代に近い頃です。

イスラムの人々は十字軍をとても怖れたそうです。なにゆえかといえば彼らが「人を食う」と信じていたためらしいです。

実際当時のヨーロッパに食人習慣があったと知って、イスラムの不安は本当だったのだとうなづけます。

ある歴史の本にも、十字軍は、戦地でイスラムの兵士を釜ゆでにし、勝利を祝うために食べたということが書いてありました。

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西洋料理といえば、私たちがまっさきに思い起こすのは白い綺麗なナプキン、銀の皿やフォークやスプーン。

ところが、それは16世紀も過ぎてからの話で、その前は庶民はほとんど手づかみ、はては皿すらなかったようです。

皿などなかったヨーロッパ

ここで中世を通じてもちいられた取り皿としてのパンについて述べたい。食事のときの食べ物はすべて、木製の、ときには陶製またはピューター、あるいはたぶん王侯貴族の食卓では貴金属の盛り皿に盛られて、食卓に出された。もし夫婦だけなら取り皿は必要ない。その皿からじかに食べればよい。

しかしほかにも食事をする者がいる場合、各自の前に焼き上がりから二日たったパンの厚切り(さしわたしがおよそ十五センチメートル、高さおよそ五、六センチメートル)を一・二枚置くのがならわしだつた。そしてその上に盛り皿から料理が移され、あるいは焼いた肉の薄切りが置かれた。

中世の料理の非常に多くが挽き肉や厚切り肉に濃厚なソースをかけたものだつたので、たとえずっしりしたふくらませないパンでも、皿にすればすぐにソースがしみこんでしまう。もしふわふわのパンなら、あっという問だろう。

空腹を満たすというパンの第三の役目は、それほど重要ではなかった。裕福な家庭では、食事で確かに別に上質のパンを食べた。しかしたいていの家庭では、食事の主たる部分が終わってから、インド人がチャパーティーを食べたように、皿に使ったパンを食べた。それは非常に経済的なやり方である。

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(皿のように見えるのはパンなのです)

 

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お次は食品偽装のお話です。

「浜の真砂は尽きるとも、世に偽装は尽きまじ」、命を養う食事が命を損なう本末転倒。

「平和のために戦争をやらかす」という矛盾だらけの人類ゆえのやむなき習性でしょうか?

恐ろしき偽装食品

1498年に起きた違反は珍妙この上ない。梅毒の治療のために患者が体を浸した油を売ったかどで、料理油の露店商が何人か捕らえられたのだ。その油には「不純物と有機的組織体」がいっぱいだった!

(19世紀のイギリス)しかしそれらの料理は確かに簡素ではあったが、あいにくほとんど良質ではなかった。食料品店は長年にわたって混ぜ物をして、不当な利益を上げていたのである。パンはミョウバンで漂白され、チーズは赤鉛で色づけされた。お茶の代わりにブラックソーンの葉が売られ、サイダーやワインには鉛が、牛乳には小麦粉や白墨が加えられた。

ようやく小規模小売商人は商売の信用の重要性に気づく。コンデンスミルクは良質な新鮮な牛乳をしのぐことはできなかったかもしれないが、都市の乳製品店で売られていた水で薄められた細菌入りの液体よりは確かに上等だった。マーガリンは上質のバターには及ばないが、町の多くの商人が売っていたバターは酸敗していたので、それよりはましだった。スミス商店特許の胚芽パンはあまりおいしそうではなかったものの、砂あるいはミョウバンが入っているとは誰も言わなかった。

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まったく!偽装にかける知恵を別な方面に向けたら楽できるのに、と思ってしまいますが。

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最後に紹介するのは落語ネタのようなお話です。

黒い子が生まれたわけ

1659年ダヴイ・シャリユに、フランス国内でのチョコレートの製造販売独占権を認める特許状が与えられた。1661年には医学会がチョコレートを推奨したので、シャリユの商売はさぞかし繁盛したにちがいない。宮廷でも好まれるようになり、チョコレートの将来は順風満帆に思われた。しかし流行はいつも移ろいやすい。数年後セヴィニュ侯爵夫人-最初に熱狂したひとりーは、チョコレートに関して多くの不愉快なことを聞いたと書いている。「去年妊娠していたコエトロゴン侯爵夫人はチョコレートを飲みすぎたので、悪魔のように真っ黒な男の子が生まれてしまったとか」

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あれこれ味覚を刺激され、とても愉しい本でした。

読み終わって思うのは、西洋では大昔のほうがおいしいものを食べていたような気がするのと、ここには引用しませんでしたが、東洋の食事は大昔からなんと豊かであったことだろう、ということでした。

参考
欧米人は肉が嫌いだった
「江戸めしのスゝメ」より

 

Category: おもしろいこと, キラっと輝くものやこと, 思いがけないこと

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