命を救ったかまぼこやさん
宮城県女川町の「株式会社高政」は震災で会長さんや従業員を亡くされたそうです。そんな悲しみにも関わらず、応急的に復旧させた工場で、毎日のべ3トンものかまぼこを焼いて避難所に配り、震災直後の支援物資もない中、みんなの命を救いました。
今日届いた帝国データバンクの冊子で特集されていた記事を読んでまたも涙が出ます。(画像をクリックすると大きくなります)
私の経営する会社でも、この高政さんのかまぼこを「ともに頑張ろう!東日本」キャンペーンの贈呈商品に使わせていただいております。
実はきのう、我が社の社員に石巻や女川の被災地を実際に見て、さらにキャンペーンで提携している現地の企業さんにもあいさつしてきてくれと行かせたんです。
彼らはこの高政さんにも訪問し、当時かまぼこを焼いた従業員の皆さんから詳しいお話を伺い本当に胸が詰まったと言うことでした。
彼らがなけなしの小遣いをはたいていっぱい買ってきたかまぼこは会社のみんなでおいしくいただきました。
★彼らのレポートを紹介します★
2011年6月29日、日本を襲った東日本大震災から100日以上経過したこの日、私大平と伊藤は被災企業と被災地の現実を知るために、宮城県女川町と石巻市に向かいました。
私たちがまず向かったのは、女川に本社工場を構えている『株式会社高政』
こちらで生産しているかまぼこは、レッツで行っている『みんなで支援!東北の物産キャンペーン』の人気商品のひとつです。
本社に伺ったところ、臨時の直売所がありました。
マリンパル女川おさかな市場が被災して以来、本社のある女川町では高政のかまぼこを買う事ができなかったそうです。
本社を訪れて、「かまぼこ買えないの?」と落胆する方も少なくなく、5月22日に仮店舗をオープンしたとの事でした。
このように小さなスペースではありますが、元気に営業しておられました。
「たくさん置いておく事はできませんが、なくなったら工場に走ればいいので(笑)」と店員さん。
できたてのかまぼこを買う事ができました。
「津波は来なかったんですが、地震の被害で今も止まったままのラインがあります。7月に新工場稼働予定だったんですが、それも9月になりそうです」
高政さんも被災した企業でありながら、災害後はいち早く被災者支援をはじめた会社でもあります。
被災後、在庫していたかまぼこ3トンを女川町の避難所に徒歩や自転車で届けたそうです。
その上、たった一週間後の3月18日から、非常用電源を確保し、工場を応急整備し、避難所へ揚げたてのかまぼこを届けたそうです。
地元復興のけん引役となっていますね。
高政さんの商品はこちらから買うことができます。とってもおいしいですよ!
高政オンラインショップ
その後、私たちは津波の被害に遭った女川町の市街地へ向かいました。
言葉を失いました。
テレビや新聞で被災地の写真は幾度となく見てきましたが、やはりその場に立つと言いようのない気持ちになります。
365度、どこを見渡してもこの状況です。
この場所になじみがあるわけではありませんが、いたるところに垣間見える生活のあとを見ると、とてもやりきれない思いになります。
この場所は、先ほどの高政さんの会社から2kmほどしか離れておりません。
高政さんも海沿いにあるのに、なぜ津波の被害を受けていないのか不思議に思いました。
帰社してから改めて地図を見たところ、その理由がわかりました。
写真の場所は、ちょうどAのあたりです。
一方、高政さんは左側の「浦宿」駅の近くです。
地図を拡大してみるとわかりますが、左側は万石浦という大きな入り江になっており、そこまで津波は到達しなかったようです。
次に私たちは、石巻市にある酒蔵『墨廼江(すみのえ)酒造』に伺いました。
こちらで造っているお酒も同じく『みんなで支援!東北の物産キャンペーン』の人気商品のひとつです。
酒蔵の横は店舗になっているのですが、被災以降は営業をしていないとのことでした。
でも、横から回って伺ったところ、種類は限られていますが販売をしているとのことでした。
こちらにも津波は襲来し、酒蔵の中が泥だらけになってしまったそうです。
「たくさんのボランティアの方々が来て下さり、泥を掃除してくれて本当にたすかりました」
このように津波が来たなんてわからないくらい、きれいになっていました。
一刻も早く本稼働し、全国に美味しいお酒を届けて欲しいですと思います。
墨廼江のお酒を購入したい方は弊社までご連絡ください。
石巻で最も被害が大きかった、門脇地区に行きました。
Googleで、震災前の状況を見ることができました。
そして、同じ場所の現在の様子です。
海沿いで、潮騒が聞こえるとってものどかな街だったのでしょう。
それが一瞬にして失われてしまう…
津波の恐ろしさを見せつけられました。
「がれきではないんだな…」
がれき、遠くから見ればそう見えるかもしれません。
でも、近づいてみるとわかります。
ひとつひとつが生活の跡なんです。
茶碗であったり、衣服であったり、我が家にもあるような子供用の椅子だったり…。
そこで暮らしていた方々の大切な物なんです。
帰社してから、上記のようにGoogleストリートビューで通った道を追ってみました。
近年はインターネットの発達で、このようにいろいろな情報を残すことが出来るようになりました。
私もこのような形で、感じた事や写真を残すことができます。
今、あらゆる方面で被災前の写真を残す取り組みが始まっていると聞きました。
このサイトもそのうちの一つです。
未来へのキオク
http://www.miraikioku.com/
被災した方がこのような震災前の写真を見て、懐かしむ事が出来る日が一刻も早く来ることを祈っております。
2011.7.1 大平
投稿者:ノボ村長、タイラくん エリア:ワクワクお店屋さん通り 初出:2011.7.4 更新:2011.7.4
Category: いきいきマイウェイ, みんなの広場, ワクワクお店屋さん通り