エンデと地域通貨(6)

[ 0 ] 2011年1月7日

本来の問題は、お金自体が商品として扱われていること

ラストインタビューで、エンデはこう語っています。
「私の見るところ、現代のお金が持つ本来の問題は、お金自体が商品として扱われていることです。本来等価代償であるべきお金がそれ自体商品となったこと、これが決定的な問題だと私は思います。お金自体が売買されるのが現代です。これは許されることなのか?そのことにおいて貨幣というもののなかに、貨幣の本質を歪めるものが入るのではないだろうか?これが核心の問いだと思います」

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友愛による経済とは

なぜ貨幣の本質を歪めている要素がまぎれこんでいても、気がつかないのでしょうか。エンデはこの理由として、シュタイナーの社会有機三層論を引いて、次のように説明しています。「人間は三つの異なる社会的レベルのなかで生きています。誰もが国家、法のもとの生活に属しています。生産し、消費する点では経済生活のなかで生きています。そして美術館も音楽会も文化生活も誰もが行っていることです。この三つの『生の領域』は本質的にまったく異なるレベルです。

今日の政治や社会が抱える大きな問題は、この三つがいっしょにされ、別のレベルの理想が混乱して語られているということです。・・・フランス革命のスローガンである『自由・平等・友愛』は革命前からある言葉で、もとはフリーメーソンのスローガンにほかなりません。この三つの概念は、今話した三つのレベルに相応します。

すなわち、自由は精神と文化、平等は法と政治、そして今日ではまったっく奇異に聞こえるのですが、友愛は経済生活です。工業社会は誰もが他人のために仕事をしたほうが社会全体の益になると考える社会なのです。仕立て屋は自分のスーツをつくるのではなく、他人のスーツをつくり、皆が自家製パンを焼くより、パン屋が他の人のパンを焼くほうが、経済的に安上がりなのです。そうしたほうが人の欲求を満たすのに有利になるのです。こうして仕事は分けられます。誰もが他人のために働くことは友愛にほかなりません」

「自由」を原理とした経済は世界に何をもたらしたか

エンデが説明するように、確かに現代社会は分業によって成り立っています。また、精神と文化、法と政治がそれぞれ自由と平等という理念によってつかさどられるべきであるということにも同意できます。しかし、経済の原理が友愛であるという考え方には大きな違和感を覚えます。言葉による理念としては、分業が「他人のために働く」ことであることに同意できても、分業によって成り立っている現実の世界は、他人を踏みにじり、人と人を分断するエゴイズムに満ちています。通常、経済学では自由な市場での競争こそが経済の大前提であるとされています。経済の原理は「自由」ではないのか。私的所有を否定して国家に一括しようとした社会主義は倒壊してしまったではないか。「友愛」を原理とした経済など、ありえないユートピア思想ではないのか・・・。さまざまな反論が聞こえてきそうです。

しかし、「自由」を原理とした経済が世界に何をもたらしてきたか、すでに私たちはむごたらしいまでの現実を知っています。・・・社会における三つのレベルとその理念の混乱が現代社会の混迷の原因であるとするエンデの説明が、まさに的を射ている証拠ではないでしょうか。

(以上「エンデの遺言」より引用)

投稿者:ノボ村長 エリア:独創研究所

Category: 大切みらい研究所, 村の地域通貨

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