人間が住むべき国
「幸せを考えに考え抜いて経営された、ディズニーランドのような高度な人工的国家」と書かれていました。『未来国家ブータン』という本に。
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『未来国家ブータン』を読み終わりました。
高山病と酒攻勢の話が半分を占めているといってもいいこの本、最終ページに近づくに従って、まるで高山病と二日酔いが抜けたような冴えた洞察が。。。
ブータンって見かけはレトロだが、国のコンセプトは実にインテリジェント。
人にたとえるならこういう子でしょうか?
「紅いほっぺで田舎弁丸出し。だけどとっても賢くて実は英語もぺらぺら。やさしくて気立てがいいのでみんなに好かれる女の子。家は質素だけどみんなニコニコ屈託がない家族。それを自分たちの『思想』としている家族」
なんか「三丁目の夕日」の「ろくちゃん」みたいなイメージだな。。。
本から参考になる文章を抜き書きしました。
(読みやすいように勝手にタイトルを付けました)
◆思想があって国がある
なんだかブータン政府というのは政府というより、NGOやNPOに近い気がする。
思想をしっかり持った非営利団体みたいだ・・・・。
◆不思議な連想
未来国家。
またしてもこの言葉が頭に浮かんだ。
どうして私はブータンに未来を感じるのだろう。
自分で旅してみれば、特に田舎に行けば、ブータンで感じるものは過去であり、未来ではない。
多くの土地ではまだ電気も水道も通っていない。高度な教育や医療、福祉の恩恵にあずかれる人はごく一部だ。
反面、建物も人の服装も伝統がきちんと守られている。
人々は信仰に生き、雪男や毒人間、精霊や妖怪に怯え、家族や共同体と緊密な絆で結ばれている。
人情は篤く、祖父母から受け継いできた文化や言い伝えを次の世代に伝えようとしている。
「未来」でなく「古き良き世界」である。特に顔や文化の似通った日本人はノスタルジーをかき立てられる。
だから、ある人はブータンのことを「周回遅れのトップランナー」などと呼ぶ。
◆ブータンがディズニーランド?
もともとブータンは長らく鎖国を続けていたために、とてつもなく近代化が遅れた。
その間、外の世界(特に先進国)では環境保全とかロハスとか「経済より国民の幸せが大事だ」といった、経済合理性を超えた最先端思想が登場し、一周余計に回った結果、ビリを走っていたブータンに並ぶ形になってしまった、というものだ。
正直言ってやや皮肉まじりの言い方である。
しかし私が自分の目で見、自分の足で確かめたブータンはそんなものではなかった。
伝統文化と西欧文化が丹念にブレンドされた高度に人工的な国家だった。
国民にいかにストレスを与えず、幸せな人生を享受してもらえるかが考え抜かれた、ある意味ではディズニーランドみたいな国だった。
◆ブータンだけが例外だった
英語教育、経済と分離した環境政策、行政の丁寧なインフォームド・コンセント的指導、伝統と近代化の統一、こういったことがことごとく私に「日本より進んでいる」と思わせるのだが、だからといってそこに私たち日本や他の世界の国の未来があるわけではない。
なぜなら私たちはいくら時間を費やしてもブータンには追いつけない。あるいは戻れない。
私がブータンに感じるのは、「私たちがそうなったかもしれない未来」なのである。
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不思議なことに、私がこれまで見たアジア・アフリカの国はすべて同じ道筋を歩んでいるように思える。
まず欧米の植民地になる。ならないまでも、経済的・文化的な植民地といえるほどの影響を受ける。
独立を果たすと、政府は中央集権と富国強兵に努め、マイノリティや政府に反対する者を容赦なく弾圧する。
自然の荒廃より今の景気を優先し、近代化に邁進する。
たいてい悪政治で抑圧は強いが暮らしは便利になる。
やがて、中産階級が現れ、自由、人権、民主主義などが推進される。迷信や差別とともに神仏への信仰も薄れていく。
個人の自由はさらに広がり、マイノリティはよりきちんと理解されるとともに、共同体や家族は分解し、経済格差は開き、治安は悪くなる。政治が大衆化し、支配層のリーダーシップが失われる。
そして、環境が大事だ、伝統文化が大切だという頃には環境も伝統文化も失われている。
国や地域によってもちろん差はあるだろうが、大まかにはこういう轍(てつ)を忠実に踏んでいるように思える。・・・・・・・・
不思議だ。なぜなら、後発の国は先発の国の欠点や失敗がよく見えるはずだからだ。
どうしてそれを回避しようとしないのか。なぜわざわざ同じ失敗を繰り返すのか。
ただ一つ、ブータンだけが例外である。
まるで後出しジャンケンのように、先進国のよいところだけ取り入れて、悪いところはすべて避けている。その結果、世界の他の国とはまるでちがう進化を遂げている。
まるで同じ先祖をもつとされるラクダとクジラを見比べるようだ。
◆もしかしたら日本だって
日本だって、明治初期まで遡ればブータン的進化を遂げる可能性があったのではないか。
今でも国民はちょんまげに和服で刀を差し、伝統的な日本家屋に住み、神仏を固く信じ、河童や神隠しを畏れ、天皇を尊び、自然環境を大切にする。
自分の収入が減るより国のことを案じ、でもどう生きるかという葛藤はなくて、おおむね幸せである。
いっぽうで、行政は地元住民の幸せを真剣に考え、人権や民主主義は行き渡り、一部のエリートが国のために尽くそうと心から願っている。
高度な医療はないからちょっと難しい病気にかかったら諦めなければいけないし、贅沢どころか、職業選択の自由もないが、生物資源の開発でそこそこ生活は成り立つ。
休みの日にはエリートも庶民も、みんながお酒落をして高僧の説教にキャーキャ一言って押し寄せる
そんな社会になっていたかもしれないなどと夢想してしまう。
◆「自由に悩まない」幸せ
私は、「患者は西洋医学と伝統医学のうち、自分の好きなほうを選べると聞きましたが」と訊いた。すると、先生は「そうです。やっぱり気持ちが大事ですから」と言う。
だが、よく聞いていると、伝統医学が得意とする分野と西洋医学が得意とする分野ははっきり分かれている。
もし患者が先に西洋医学の病院に行っても、それが腰痛や神経痛、慢性の胃腸病のときは医師が「伝統医学に行ったほうがいいですよ」と言い、ケガや急性の病気を抱える患者が伝統医学に来たときは「西洋医学のほうが向いています」と勧める。
あたかも日本の病院で、「これは内科ですね」「これは外科でしょうね」と言うがごとくだ。
「医師は勧めるだけで最終的に決めるのは患者です」と先生は言う。
「でも医師の言うことを聞かないで 『それでも自分はこつちの治療を受けたい』と患者が言ったらどうするんです?」
「そんな頑固な患者はいませんね」と先生は笑った。
ああ、そういうことか……。
私は嘆息した。まだ自分はわかっていなかった。
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「ブータン方式とは国民の自発性を尊重しつつ明確に指導すること、もう一つは巧みな補完システム」とシンゲイさんたちに自分で言っていたではないか。
患者が自分で選べるというのは形だけで、結局は医師が決めているのだ。
そうなのである。ブータンを一カ月旅して感じたのは、この国には「どっちでもいい」とか「なんでもいい」という状況が実に少ないことだ。
何をするにも、方向性と優先順位は決められている。
実は「自由」はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だから個人に責任がなく、葛藤もない。
シンゲイさんをはじめとするブータンのインテリがあんなに純真な瞳と素敵な笑みを浮かべていられるのはそのせいではなかろうか。
アジアの他の国でも庶民はこういう瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくなる。
教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。
自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。
でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。
ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。
それこそがブータンが 「世界でいちばん幸せな国」である真の理由ではないだろうか。
◆水戸黄門のような国王
「国王が? どうやって? 担当の役人の報告を聞くの?」
「ちがいますよ。自分でその土地や持ち主の生活を見て決めるんです。この生活では大変だから税金は前のままでよいとか、(安くした)税額証明書の発行を早めるとか」
「自分で見る? 村に来るってこと?」
「そうですよ。国王は国中の村を歩き回っていますから」
これには驚いた。
先代である四代目国王も今の五代目国王もひじょうな健脚で、ラヤ村にも自分の足で訪れているのは開いた。
国王親子はラヤの人たちに直接「自分たちの伝統を大事にしなさい」と言葉をかけ、そのおかげでラヤの人たちは伝統に誇りをもっていると何度も耳にした。
だがそれだけではなかった。特に今の国王はすごい。前回の「行脚」では、首都ティンプーかガサ経由でラヤに行き、さらに中央部のブムタンに下りて、最後は東北部のルンツェに抜けたという。
ブータンをほぼ横断している。一カ月以上にわたる長旅だ。それ以外にも多忙な公務の合間をぬって、全国各地の村を歩き回っているらしい。しかも村で土地の配分まで行っている。
ブータンの国王、恐るべし。
◆国王はアイドル
この国では国王は「尊敬の対象」どころではない。日本で言うならジャニーズ事務所所属の全タレントと高倉健とイチローと村上春樹を合わせたくらいのスーパーアイドルである。
四代目は先代の急死により十六歳で即位。「世界で最も若く最もハンサムな国王」と騒がれた。
五十代の今でも十分にハンサムだ。
稀にみるほど賢い人で、若くしでGNH(国民総幸福量) の概念を考え、環境立国の道を切り開いた。
四代目の逸話は、ブータンに十年近く滞在した仏教学者・今枝由郎先生の著書によく記されている。
まず、ストイックなまでの質素さ。住んでいるのは「宮殿」とは名ばかりの小さな丸太小屋で、乗っているのはふつうのランドクルーザー。
ブータン人が物欲を自制し、質素な生活を心がける大きな理由は、アイドルの国王を真似しているからだ。
◆人が何人も死んで何を祝うのか
平和を何より愛するが、やむを得ないときには敢然と敵に立ち向かう。
ブータン南部の密林には、インド・アッサム州の分離独立を標模する反インド政府ゲリラが長いこと巣食っていた。
インド政府の強い要請を受け、国王はゲリラたちに「ブータン国内から出るように」と何度も通告したが、彼らは言うことをきかない。
そこで二〇〇三年、五十歳近い国王は自ら国民義勇隊を率いて出陣し、ゲリラの拠点を急襲、見事勝利をおさめた。
これはブータンにとってなんと百年ぶりの本格的な戦争であったという。
まさか国王が自分で軍を率いるとは思わなかった国民は大感動、政府の高官たちは国王の帰還と戦勝を祝おうとしたが、「人が何人も死んで何を祝うのか」と国王に一喝されてしまった。
◆王様は「謙虚かつ聡明」
先代王は後継にも余念がなかった。まず絶対君主制から民主主義に移行し、立憲君主制を確立すると、二〇〇六年、五十一歳の若さでさっさと引退と譲位を表明した。
新国王は当時二十六歳。アメリカとイギリスで教育を受けており、謙虚かつ聡明なことで知られる。しかもまたもやイケメン。
かくして、国中の至るところにこのイケメン親子の写真が飾られている。
私が泊まっているここの娘さんの部屋に貼られた「アイドルのポスター」も、実は国王親子のものである。
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全国の村の人たちは「王様が来てくれないか」と待ち望み、また「正しいことをしていれば王様が見てくださる」と信じているらしい。
◆書評:星野博美(作家)より
この国の謎を読み解くヒントはチベットにある、と著者は考える。
先輩であるチベットは中国に占領され、伝統文化や環境は破壊され続けている。
ブータンの独自路線は、理想を追い求めた結果ではなく、インドと中国に挟まれ、独自色をアピールしないと生き残れない小国の必死さの表れではないか、という指摘に目を見開かされた。
「ブータンって幸せそう」と無邪気に考える人にこそ、一読を勧めたい。
幸せって結構大変で、戦略的なものなのである。
私はこの本を読みながら、井上ひさし著「吉里吉里人」を思い出しました。
ノボ村長