電気売りのおばちゃん
さて、エネルギーのあるべき姿として、私が最も基本的なことだと思うのは「安全安心のエネルギーが地産地消されること」。食べ物と同じだと思うんです。
電気売りのおばちゃん
そのころの日本では「地産地消」が主要なイデオロギーとなっていた。
イデオロギーの原点が「国を守る」から「国民を守る」に変わったからだ。
おかげさまであぶない「原発」もなくなった。
「原爆」を持って国を守ろうという人には、天皇陛下から直々のお言葉があった。
「原爆を使ったら地球が滅びる。使えないもので悩まずに、頼むから別な方法で守るやり方を考えなさい」と。
さて、想定外の災害に遭遇しても、なんとか国民が「生き延びる」ためにはどうするか?
その答えが、「食料とエネルギーの多様な自立分散」であった。
副産物として「地域社会の復活」と「お年寄りと子供の価値増加」が生じた。
そんな社会のある日の様子である。
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「電気はいらんかね~。今日は半額、大安売りだよ~」
リヤカーを引く行商のおばちゃんの元気な声が、お昼前の家事が一段落した時間、住宅街に響いている。
「おばちゃん、いつもの10個ちょうだい。」と三階のベランダから奥さんが声をかける。
「ハイヨ!」とおばちゃんが一階のベランダの下にある専用カゴにバッテリーを入れる。
バッテリーといっても電動アシスト自転車に使うような手頃な大きさのこぎれいな代物だ。
三階の奥さんが、こちらでも専用カゴに空きのバッテリーを入れて、ベランダの端にあるスイッチを押す。
どいうしくみか知らないが、多分とても原始的なしくみで両方のカゴが「つるべ」のように上下に移動する。
「毎度~。またくるよ~」とおばちゃん。
「そうそう、おばちゃん。うちの坊主、少し太ってきたからオタクの『充電場』でアルバイトに使ってくれないかしら?」
「いいよ。いつでも寄こしなさい。バイク百こぎ50円だけどいいかね?」
奥さんは指で丸を作って「じゅうぶん、じゅうぶん!」
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この時代の日本では、電気製品のほとんどが「交流」から「直流」に替わった。(実際は直交兼用に)
それが大きな社会変化を起こした。
「乾電池」を考えていただければよくわかる。
直流の電気ならどこでも買えるし、誰でも売れるのだ。
さらに、直流なら乾電池と同じだから直列につなげば電圧が上がるし、並列につなげば持ちが良くなる。
機械が必要とする入力電圧を、だれもが自由自在に変えることができるのも、普及を促進した大きな要素だった。
だから、どんな電気製品でもみな同じバッテリーで使える。もちろん過電圧を防止するブレーカーのようなものはあらゆる製品に付いていた。
車だって、この時代は同じバッテリーで動いている。
参考:夢のような話に聞こえる人も多いかと思いますが、プリウスのバッテリーユニットは携帯電話の電池と同じ物を多数重ねて1ユニットにしているらしいです。それに乾電池で走る自動車というのも実際に存在しています。(実験的に)
まだまだ「交流」も併存している。しかしこの時代は、「交流」こそが緊急用電源であり、または大型機器専用の特殊な電源であった。
それは、以前の「交流200V電源」みたいなものと思ってもらえればいいだろう。
そして、直流の充電ならとても簡単なのだ。太陽光パネルからも直接充電できる。自転車の車輪を回しても簡単に充電できる。
充電にはなんでもありの社会が具体化していた。
それに加えて、お金が手元にない時はバッテリーをお金がわりにして買い物することができることも促進に拍車をかけた。
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おばちゃんは電気を売るだけじゃない。電気を積極的に仕入れに行く。
ある日は町のスポーツジムに現れた。
「電気を売ってはくださらんかの?」
インストラクターは「おばちゃん、いくら?うちはいつも一バッテリ分で700円よ」
「それじゃ、私は750円で買いますよ。なにせ夏場はけっこう需要が多いもんで・・・」
「取引成立ね!私たちも汗が無駄にならずに嬉しいわ。運営資金にもなるしね」
「さ~、健康オタクの皆さん、今日も汗を電気に変えて頑張りましょう!元気のバロメーターは充電量ですよ!」
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バッテリーには残量を示すLEDのインジケーターが付いている。
各家庭ではお母さんがこういう。
「さ~今日のテレビは、このバッテリー分だけよ。あとはありませんからね」
こどもたちは小遣いのように渡されたバッテリー、その残量分で自らやりくりする。
兄弟でこんな会話をしている。
「お兄ちゃん、バッテリーをゲームに使いすぎて宿題するのに照明がないよ~~~」
「だから計算して使えってあれほど言ったろう。しょうがない。兄ちゃんの分を貸してやる。そのかわり、お前の「おやつ」もらうぞ」
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細かくちょこちょこと充電するしくみがインフラとして十分有効な社会となっていたので、各家庭でもあれこれ充電の工夫をしている。
太陽光パネルや太陽光壁はあたりまえ。いまホットなのは小水力発電機だ。
実は知る人ぞ知る、ずっと以前から「小水力発電」くらい無尽蔵で、簡単で、安全で、安定した電源はなかったのだ。
特にこのような装置ができてからは地産地消の「発電革命」みたいなものだった。
それは、「マイクロ水流発電」
段差を利用せず、流れのあるところにこの特殊な水車ユニットを沈めておけば、水流だけで半永久的に発電し続けるのだ。
それも、何台でも何万台沈めても別に構わない。(魚を保護するガードが付いている)
それを魚の漁にたとえれば、川にカゴを入れて「うなぎ」をとるようなものだった。
参考:現在実用化されているマイクロ水流発電ユニット
三菱電機プラントエンジニアリング
http://www.mpec.co.jp/documents/20120105.pdfシーベルインターナショナル株式会社
http://www.seabell-i.com/images/SmallHydro-STREAM.pdf情報提供: 一般社団法人 小水力開発支援協会 http://www.jasha.jp
※私が考えているのは、もっともっと小さく水中ポンプのようにただ流れある場所に沈めておく発電機なんです。どなたかヒントになる情報あれば教えてください。
そのほかにも、ストーブの熱や太陽熱を利用した「温度差発電」、集中下水道方式を止めて地域ごとの合併浄化槽方式にしたおかげで実現した段差を利用した雑排水利用小水力発電、プロパンガス給湯を利用したコージェネレーション・・・
手回し充電だって電源リソースにかわりはない。
何よりも、蓄電方式の社会だから「停電」はない。
この社会では、野菜を栽培するように電気を作っているのだ。一人ひとりが楽しく安全に。
投稿者:ノボ村長 エリア:未来の幸せエネルギー 初出:2012.5.31
Category: 大切みらい研究所, 新しい街づくり, 未来の幸せエネルギー