「農」と「農業」は別物では?

[ 0 ] 2015年4月6日

 「農」と「農業」は別物じゃないでしょうか?

「畑はじめたばっかしで何を偉そうな!」そのとおりなんですが。。。

私がやっている二坪農園でさえ、作物によっては食べきれないくらい成ることがあります。

近所の趣味でやってる畑を見れば、たくさんの大根や白菜が抜かずに放置されている所がけっこうあります。

食べきれないし、回しきれないのでしょうか?

それともなにか収穫できない家庭の事情などが発生したのでしょうか?

・・・・・・・・

自家菜園でつくった作物の交換ネットワークが広がったら面白いだろうな~と思います。

マネー経済の中に「物々交換」が少しまじると、きっと楽しいんじゃないでしょうかね。

そんなことを考えたのは、つい先日、FBで知り合いの方が自然農法について書いていたからなんです。

その記事に触発されて、以前私が畑を始めたばかりの頃に書いた記事を読み返してみました。

知ったかぶり「観念的重農主義者」のたわ言みたいです。

だけど「なるほどな~」と(今の)自分が思えるところもありますね~。

ところであれほど騒いだTPPはどうなっているんでしょう?

f:id:kawasimanobuo:20130520133925j:image:w260

ノボ・アーカイブス

ノボ辞典より

Agriculture【農業】名

一般的に「農」と「農業」を区別することはない。

しかし、区別すべきだと考える、いや考えた人も少数ながらいたようだ。

明確に区別したとはいえないが、それを考えた一人に「ソロー」がいる。

『森の生活』<湖>より

・・・コケモモやブルーベリーの夕食にあずかり、ついでに数日分のたくわえを摘み取ったりした。こうした実をひとから買って食べたり、市場へ出荷するために育てたりしている人間には、そのほんとうの味はわからない。それがわかる方法はたったひとつしかないのだが、そうするひとはめったにいないようだ。

「農」と「農業」を異なるものとするなら、それぞれどのような特性を持っているのだろうか。

・・・・・・・・

(目的)

「農」とは「生きるために食物をつくる」ことであり、

「農業」とは「利益を得るために食物をつくる」ことである。

(消費)

「農」は「自給自足」が基本で、余ったものを市場に出す。

「農業」は「販売」が基本で、余ったものを自家消費する。

(規模)

「農」は小さく、「農業」は大きい。

「農」は安定を望み、「農業」は成長を望む。

「農」は手間暇かけることを喜び、「農業」はより効率的なことを喜ぶ。

「農」は心を耕し、「農業」は土地を耕す。

(形態)

「農」と「農業」は重なり合っているが大きく二つに分類できる

1.「農」>「農業」、これが今までの「農家」である。

2.「農業」>「農」、これがこれからの「農企業」である。

「農家」が限りなく「農企業」に変わることを疑問に思う人はあまりにも少ない。

(方向)

「農」のキーワードは「安全」であり、「農業」のキーワードは「価格」である。

「農」は都市部で「農園」として発達し、「農業」は農村部で「農工場」として発達していくだろう。

都市部ではサラリーマンが「農園」で癒やされ、田舎では農家が「農工場」からサラリーを得ていくことだろう。

やがて「農」はセレブの「価値観」を刺激し、「農業」は庶民の「懐」を刺激していく。

「農」は「つくる喜び」とともに細々と国に残り、「農業」は「低いコスト」を追い求めて国を出て行く。

・・・・・・・・

やがて起こるかもしれない世界規模の食糧危機。

生き残る力となるのは、きっと「農」であって「農業」ではないだろう。

その後、「農」と「農業」がぴったり重なり合う時代が来るにちがいない。

そのときに、まだ作物を育てることができる国土であってほしいと願わずにはいられない。

Category: 大切みらい研究所, 新しい農業

コメントはこちらへ