愛しき宇宙人シッダールタ
(最終講義)
階段教室の教壇に立ったナカムラ教授は、はずした眼鏡をハンカチで拭き、かけ直した後、演台に両手をついた。一呼吸置いてから、聴衆の学生や教職員一人一人の顔をゆっくりと見回した。
ナカムラ教授は東洋思想の世界的権威で、クラーク記念大学宇宙歴史学部の学部長を務めていた。この日2060年3月3日、彼の退職記念最終講義が行われていたのだ。彼はかなり高い天井に目を泳がせて静かに語り始めた。まるで、天に向かって告白でもするかのように。
「私は長年にわたりブッダについての研究をしておりました。実は今まで秘密にしてきたことがあります。私の最終講義というこの機会を借りて、その秘密を初めて明らかにいたします。それは全人類にとって衝撃的な内容といえます。研究成果をホログラム映像にしましたので、まずはご覧ください」
ナカムラ教授は、彼の長年の研究から導き出されたブッダの人生を、ホログラムプロジェクターに再現した。聴衆は、まるでこの場にブッダとその時代が一緒に存在しているような感覚を覚えた。だれひとり微動だにできなかった。
(シッダールタの疎外感)
カピラ城でシャカ族の王子シッダールタは元気よく遊びまわっていた。7歳くらいのようだ。美しい女官や侍女の着物の裾をめくったりして困らせている。子供らしいはつらつとした顔には聡明な輝きを秘めた目があった。
しかし、シッダールタは自分自身になんとも言いようのない違和感を感じていた。彼はそれで時々夜眠れないこともあったのだが、幾晩寝なくとも平気であった。さらには、あらゆる学問を何の苦もなく即座に理解してしまう、病気になることもけがをしたこともない。明らかに他の人間たちとは異なる能力に、彼は強いコンプレックス、疎外感を感じていたのだった。
やがて彼は成長する。彼の魅力に屈することができる女性はいない。疎外感の反動もあって、彼は美女という美女と快楽を貪りつくそうとするのだが、心の空虚はふさがることはなかった。遊びに飽きた彼は、やがて清楚な妻をめとり、子供もできた。しかし心はいつも孤独だった。妻を含め、他人には決してそれを気取られないようにしていたが。
(深宇宙からのメッセージ)
そんなある日、気分転換のためにシッダールタは城門の外に出た。売り買いの声、笑い声が響くにぎやかな町の昼、その中には物乞いもいれば、病気でうずくまっている人、近親の死を嘆く者の姿もあった。
いつもと変わらない市井の光景なのだが、突然シッダールタの身体を電流のようなパルスが数秒突き抜けた。それは彼のルーツ、深宇宙からのメッセージであったのだろうか?きっとそうだったに違いない。シッダールタは自分という存在の真実を、その時一瞬にして悟った。
(出生の秘密)
純粋精神エネルギーとして宇宙に無限増殖していた彼のルーツたる種族は、常に新たなエネルギーを求め宇宙の隅々を彷徨っていた。太陽系第三惑星地球も、宇宙インベーダーとも言える彼らのガソリンスタンドにされたのだった。彼らは、地球人類という生命体からエネルギーを給油することにしたのだ。なぜなら宇宙のエネルギーとは知的生命体の精神エネルギーに他ならず、その種のエネルギーを生産できる星の存在は、広大な宇宙の中でも何千億、何兆分の一にしか過ぎないのだ。
シッダールタは、彼らインベーダーが精神エネルギー収集装置及びアンテナとして送り込んだ存在だった。物質的実態のない彼らはシッダールタに人類の姿を与えた。その装置となったのがシッダールタの母マーヤであった。彼女はその負荷に耐えきれず、シッダールタを産んだ後すぐに亡くなった。
しかし、シッダールタにはマーヤの影響が強く残った。彼は半宇宙人、半人類という唯一の特殊な存在になったのだ。インベーダー由来の不老不死、万能の能力とともに、人類由来の性質に悩むシッダールタが生まれたのであった。実はこれこそが、後に「仏」と称される至高の存在が、地球生命体にあまねく慈悲心を持つことになった理由なのではあるが。
電流のような深宇宙からの波動を受信したシッダールタはしばし放心状態であった。お供の者が心配して声をかけた。「王子様、どうなされました?」「いや、大丈夫だ。きっと久しぶりに見た街の活気にあてられたのだろう」彼はすかさず冗談でかわした。
しかし、シッダールタはその日からふさぎ込むことが多くなった。妻も心配するのだが、シッダールタは決してだれにも心の内を話そうとはしなかった。孤独の影は徐々に濃くなっていた。
(苦行を求める)
数週間後の早朝、シッダールタはだれに告げることもなく、カピラ城を一人後にした。彼は人間になりたかったのだ。「なぜ私はかくも他人と違うのか、長年のその謎は解けた、、、しかし私の懊悩はかえって深くなるばかりだ。私はこの世界が、父母が妻が子があらゆる人々が、心の底から愛おしい。私の出自などどうでもいい、私は普通の人間になりたい。。。」
彼は己の肉体を極限まで痛めつけ、傷を負い、健康を損ねたいと心から望んだ。死ぬことさえ望んでいた。そのために彼はバラモンの行者が行う苦行を求めて旅をした。苦行の場所を探し旅すること数週間、いまだ人跡未踏の深い森に分け入ったシッダールタであった。その森を皮切りに墓場など人が嫌悪する場所を求めては、なんと六年間も苦行を続けた。
(想像を絶する苦行)
ナカムラ教授は眼鏡を額にずり上げ、手元に置いた古い資料を手で探し始めた。「あった、あった。ブッダが苦行の様子を弟子たちに語った言葉が残っております。われわれの想像をはるかに超える苦行であったようです。。。」そう前置きをして、手にした資料をゆっくりと読み上げはじめた。
『母牛は追いやられ牧牛者が他に行ったとき、牛舎の中でわたしは四肢にて匍って行って、幼くて乳くさい仔牛の糞を食べた。わたしは自分の糞尿が終わらないうちに、自分の糞尿を食べた。わたしの(汚穣物を食う偉大な行)にはこのようなことがあった。
わたしは或る恐ろしい森林にひそんでいた。その恐ろしい森林の恐ろしさについては、「何人でもまだ貪欲を離れないでかの森林に入ったならば、おおよそ身の毛がよだつ」といわれていた。
わたしは、寒冷にして降雪時期の、月の前分第八日から後分第八日に至るまでの冬の夜には、夜は露天に、昼は森林に住していた。また夏の最後の月には、昼は露天に夜は森林に住していた。そこで未だ聞かれたことのない、驚歎するまでもないこの詩がわたしに現われた。
暑き日も寒き夜も
ただ独り恐ろしき森に
裸形にして火もなく坐す。
聖者は探求をはたさん、と。わたしは墓場において死屍の骸骨を敷いて寝床とした。そのとき牧童たちがやって来て、わたしに唾し、放尿し、塵芥をまきちらし、両耳の穴に木片を挿し入れた。しかしわたしはかれらに対して悪心を起こさなかったことをおぼえている。わたしの(心の平静)に住する行にはこのようなことがあった。』
ナカムラ教授はこう続けた。「実に思いがけないことですが、シッダールタは苦行を通して真理を究めようとしたのではありません。シッダールタは苦行を通して己の超人性を捨て、普通の人間になろうとしたのです」
「しかし、彼の思い通りにはなりませんでした」「実はブッダの偉大な思想はこの時の絶望から生まれたのです」会場には深く重い沈黙がただよった。聴衆は後にブッダとなる若きシッダールタの苦悩を我がことのように感じたのである。
(スジャータの救い)
我が身における苦行の無意味さを悟ったシッダールタは絶望し、河畔の菩提樹の木陰で身を休めていた。彼は絶望し、見かけは痩せさらばえ病人のようにやつれはてていた。しかし超人であるがゆえに健康は実は保たれていたのだ。
村の娘スジャータがシッダールタを発見する。純朴なスジャータはシッダールタを瀕死と疑わず、乳粥を彼の口に運んだ。シッダールタは娘の優しさに心を打たれ思わず涙ぐんだ。スジャータの真心は、彼の肉体はともあれ、彼の打ちひしがれた精神をまちがいなく癒やしてくれた。「ありがとう。。。この乳粥がなければ、まちがいなく私はここで果てていたでしょう。あなたは私の命の恩人です。あなたとご家族や友人に幸あれ。。。」
このさりげない心温まる出来事が、シッダールタにその後の進むべき道をほのかに照らしてくれた。シッダールタは河畔の素朴でのどかな風景をゆっくりと、いつまでも見渡した。もう夕暮れになろうとしていた。夕陽を浴びて鳥たちがにぎやかに水辺へと帰ってくる。広い河のあちらこちらには魚の銀鱗が宝石のようにキラキラと光る。遠くの森は柔らかな薄墨色にかすんできた。風の涼しさが心地よい。
遠くを静かに見つめるシッダールタ、徐々に新鮮な思いが彼の心に生じてきた。「スジャータは大切なことを教えてくれた。わたしは今まで自分のことだけしか見ていなかった。自分が何であれどうでもいいことじゃないか。この美しい世界に私は万物とともに今生き続けているのだから。。。いや生かされているのだから。私はなんという至福の中にいるのだろう。。」
(使命を悟る)
シッダールタの心に灯がともった。「私にしか為しえないことがある。私が忌み嫌う己の超人性は、人々の救いにどれほど役立つ能力であることか。。。」ブッダは、この世に生きるあらゆる存在を苦痛、懊悩から救ってあげたい、と切に思い始めた。
ふと、彼は自分を産むことで亡くなった母マーヤを想った。その姿を見たこともないのに、彼の眼前には微笑む母の姿がはっきりと見えた。ブッダは母から受け継いだに違いない愛の遺伝子、自己犠牲の遺伝子のさざめきを確かに感じた。この時こそ、シッダールタがブッダになった瞬間であった。この時彼は三十五歳、城を出てからもう六年の歳月が経っていた。
ブッダはその日から一月以上も菩提樹の下で瞑想を続けた。そして、宇宙に放射されている情報のほとんどを受信し理解した。それは、あまりに深遠な宇宙の真理、人生の真実。。。理解する者も理解できる者もこの世にはいないであろう。私一人の中に留めておくしかないだろう、と彼は思わざるを得なかった。
ところが、突然彼は心に微弱な特殊な波動を感じた。遠い遠い宇宙の果てから届いたその波動は、宇宙の究極存在から発せられたものであった。そのメッセージの意味は概ねこうであった。「そなたは自らの波動を出力し続けよ。同期体は必ず存在する。やがて波動は変調し多くの同期体を生み出すであろう」
ブッダはこのメッセージで再起動した。己の存在そのもので希有なる波動を出力し、人々を救う種子になることを決心したのだ。彼は菩提樹の下から立ち上がった。そして強い眼差しを空の彼方に向けた。その後、まわりをゆっくりと慈しむように眺めた。
(布教の真実)
ナカムラ教授は、自らが中心となって制作したホログラム映像を聴衆と一緒に見ていたが、立体映像をいったん停止して、語り始めた。「ブッダは天の声に従い、この後、彼に帰依した弟子たちと四十五年間も生活を共にしながら布教を続けました」
「驚くことに、ブッダは決して仏教を説きはしませんでした。かれの説いたのは、いかなる思想家・宗教家でも歩むべき真実の道でした。そして行ったのは彼が出会った身近な人々の救いでした。その中には病や怪我で苦しむ人も数多くいました。ブッダはためらわずに己の超能力を使って、彼らを癒していったのです」
「旅を共にしていく中で、ブッダの言葉は弟子たちによって記憶され、それが原始仏典となり、後代さらに多くの経典が著されていったのです。仏陀が聴いた天の声には、(やがて波動は変調し、、、)とありました。仏陀の放った波動をベースに様々な波動が派生し、人類の多くに届くようになったのです」
(素顔のブッダ)
ナカムラ教授はコップの水を数口飲んでから、ゆっくりとした口調で話を続けた。時おりあらぬ方向をぼんやりと眺めることがあった。まるで、亡くなった懐かしい家族や友人を思い出しているかのようであった。
「ブッダの全生涯を通じてみるに、かれの教示のしかたは、弁舌さわやかに人を魅了するのでもなく、また一つの信仰に向かって人を強迫するのでもありませんでした。異端に対して憤りを発することもない。単調にみえるほど平静な心境をたもって、もの静かに温情をもって人に教えを説きました。かれは、人づきの良い、とっつき易い人であったらしい。それを示す弟子の言葉が遺されています」
『修行者ゴータマは、実に<さあ来なさい><よく来たね>と語る人であり、親しみあることばを語り、喜びをもって接し、しかめ面をしないで、顔色はればれとし、自分のほうから先に話しかける人である』
「その音声ははっきりしていて、すき通って聞こえたらしい。些細なことを語るときにも、非常に重大事を語るときにも、その態度は同様の調子であり、少しも乱れを示していない。ひろびろとしたおちついた態度をもって異端をさえも包容してしまう。そんな方だったようです。仏教が後世にひろく世界にわたって人間の心のうちに温かい光をともすことができたのは、ブッダのこの性格に由来するところが多分にあると考えられるのです。
(重い病に倒れる)
ナカムラ教授の最終講義はいよいよクライマックスを迎えようとしていた。それはブッダの臨終の場面に至ったからである。
「さて、ブッダの生涯でもっとも感動的な出来事は臨終にいたる場面でしょう。ブッダは八十歳で入滅したと伝えられています。しかしその臨終は決して平穏なものではありませんでした。彼に帰依する鍛冶工チュンダが供した食物によって中毒を起こし、激しい腹痛を伴う病死でありました。資料には、重い病となったブッダの様子が書かれています」
『さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、重い病が起こり、赤い血が迸り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を堪え忍んでいた。さて尊師はアーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラへ行こう」と。「かしこまりました、尊い方よ。」とアーナンダは答えた。』
(チュンダへの思いやり)
ナカムラ教授はホログラムに映されるブッダと弟子たちの苦しい旅の様子をともに見ていた。
重い病に耐えながら、ブッダと弟子たちは臨終の地クシナーラへと向かっている。そこには鍛冶工チュンダの姿もある。ブッダは思いやりの深い人であった。チュンダのささげた食物によってブッダは中毒したのであるから、「誰かが鍛冶工の子チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない。」と思っている。
途中疲れ切って臥したブッダは、弟子たちに、チュンダに心配させないように次のように言え、と伝えさせる。
「二つの供養の食物に最上の功徳がある。それは、さとりを開いた直後に供養された食物と、チュンダが供養した食物とである。」
みずからは苦痛に悩みながらもチュンダのことを気づかっていたのだ。腹痛をこらえながらブッダは、自らが中毒したチュンダの食物を、スジャータが捧げてくれた乳粥と同等だと話した。苦行から離れ菩提樹の下で生死の境をさまよいながら悟りを開いたとき、シッダールタの命を救ったとされるあの「乳粥」と。。。やがてブッダは臨終を迎える。悲しむ弟子たちに囲まれつつ。
(偽装された臨終)
「実は今見た最期の様子は真実とは異なるのです。。。そしてそれが私の最終講義の中核なのです。私の研究がたどり着いたブッダの最期とはこのようであったのです」
ホログラムには先ほどとは異なる臨終の場面が映し出された。ブッダは超人である自分がこのまま存在し続けることが、どれほど人類に怠惰な依存心という悪影響を与えることかを悟っていた。さらに自分自身「死」を欲していた。普通の人間になりたいがゆえに。そこで彼と数人の高弟は(偉大な)トリックを考えた。それがブッダ最期の旅から臨終に至る場面である。
チュンダの提供したキノコは強い幻覚作用、麻痺作用を与えるものであった。幻覚作用は数日間続き、その後仮死状態になるのであった。臨終は仮死状態に至ったときの状況であった。
その後かねてブッダが指示していたとおり、彼の肉体は荼毘に付され、母方由来の人間としての肉体を失った。しかし父方由来の精神エネルギー体はそのまま存在し続けたのであった。ブッダは、はなはだ特殊な形態ではあるが、望み通り「人間の死」を享受したのであった。
(仏教の誕生)
ナカムラ教授は再び話し始めた。「ブッダの入滅後千年にわたり、様々な経典がつくられていきました。ブッダ自身が語ったことではないので、それらを創作や別な思想であると考える人たちもおります。たしかに経典で語られる世界は、長い歴史の中で様々な宗教や思想が複雑に混合し、人間の感覚がはるかに及ばぬ宇宙論、時空論、存在論に満たされております」
「しかし、私はこれら経典のすべてがブッダの真実であると確信しているのです。なぜならブッダはもともとが宇宙人であったからです。彼のルーツは人間の知識も感覚も及ばぬ深宇宙、高次元の精神生命体であるのです。ブッダとは経典に書かれた超存在そのものであるからです」
「ブッダは肉体的消滅、輪廻転生、解脱を弟子たちに説きました。そして、ブッダの最期はまさにそのとおりであったと言えます。人間としての肉体は滅び、もともとの宇宙生命体として時空を超越し、いつか深宇宙に還っていく、彼は自分自身の真実を説いたのです。彼以外にとっても真実かどうかは後ほど話すことにしましょう。」
(経典の真実)
「ブッダの真実は、彼と行動を共にした弟子たちだけが知っておりました。それを伝えるには一子相伝のごとく、言葉を超えた人類の潜在的超能力に働きかけねばなりませんでした。それが仏教となっていったのです。そしてブッダの超越的世界を説明するために新しく特殊な言葉が生み出されていきました。それが経典です」
「経典は宇宙のソースプログラムを書こうとしました。長い間をかけてその言語はアップデートされてきました。経典と科学はかけ離れたものと思う方もまだいますが、実は方法が異なるだけで同じものです。それぞれが別な言語で宇宙の真実を翻訳しようとしているです。ブッダがそれを手伝っていた、いや手伝い続けていることも疑いありません。」
「宇宙の真実がお経に表されている、それを知るもっともよい例は「般若心経」です。色即是空、空即是色は、素粒子物理学の世界になんと近しいことでしょう。宇宙や時空、存在などを科学的に究めて行けば行くほど、般若心経の説く世界と重なってくるのです」
(学生の質問)
一人の学生が手を挙げた。講義の途中ではあったが、ナカムラ教授は優しい顔をして、学生に質問を促した。学生は多少遠慮がちな口調でこう尋ねた。「先生は何をもって、ブッダが宇宙人であると証明してくれるのでしょうか?」
ナカムラ教授は、うなずきながらこう答えた。「あなたの言うとおりです。これからその証拠をお見せしましょう」彼は演壇の机の脇に置いていた黒いカバンから、大事そうに四つ切の写真を取り出した。聴衆にその写真を見せたが、小さすぎて見えない。すぐに講演助手の一人が三次元プロジェクターにその写真を置き、大きな立体的な映像になった。
(一枚の写真)
その写真には、植物の繊維を用いた筆記媒体に、まったくなじみのない特殊な記号が多数書かれていた。筆記媒体は3枚あり、いづれも長さ20センチ、幅5センチくらいであった。ナカムラ教授は説明を始めた。
「この写真は、実は私の曽祖父で原始仏教の研究者であった中村元(はじめ)が生涯手放さず個人所蔵していたものです。原本はインドの大学に保管されていましたが、曽祖父はじめ誰も内容を解読できず、今日まで謎のまま残っていたものです」
「わたくしの家系は曽祖父の影響を大きく受け、彼が解読できなかったことを、その後三代にわたり引き継いで研究してきました。しかし祖父も父もこの資料を解読できませんでした。ところが、私は実に幸運にもついにこの文書の概要を解読したのです。その内容を今日初めて公開するわけです」
会場の熱気は大いに高まってきた。歴史が、世界が、宇宙が、もしかしたら大きく変わるかもしれない、という期待と不安が交錯して。
(解読された仏典)
「私の子供たちは、私とは異なりどちらも理科系です。長男は宇宙物理学、次男は素粒子物理学を研究しております。ブッダの研究も私の代で終わりだな、とあきらめておりました。なにせ宗教と物理学は異質なものととらえられてきましたから。しかし、ブッダのはからいがあったのでしょうか。子供たちがこの古文書の謎を解き明かしてくれたのです」
ナカムラ教授によれば、ある日偶然見せたこの古文書の写真に次男が何かインスピレーションを受けた。次男は長男にも見せた。互いの仕事のかたわら二人は数年にわたり、その古文書を物理学的見地から解読を試みた。
その結果、どうやら一部が超ひも理論の最重要式と同等であることがわかった。さらにブラックホールやワームホールの最先端研究の内容も包含されていることがわかったというのだ。この文書は放射性同位体による分析で紀元前6世紀ごろの文書であることが分かっており、さらにブッダゆかりの遺跡で発見されたらしい。
最新物理学、宇宙学によるミクロやマクロの世界は「般若心経」の世界にとても近い。父親の影響でそれを深く感じていた二人であったからこそ、謎を解けたのかもしれない。
(どよめく会場)
会場はどよめいた。その後猛烈な拍手がわきおこった。天動説から地動説に替わったように、今日から新しい歴史が始まり、今までとは違う世界が生まれていく、聴衆の皆が高揚した気分に浸った。
宗教と科学は兄弟だったのだ。たぶん宗教は絵のように世界のすべてを一瞬にして見せるものなのだろう。科学は本のように読み進みながら世界が徐々に見えてくるものなのだろう。
まもなくして、ある教授が手を挙げ、質問を始めた。「ナカムラ教授、私は今日、生涯でもっとも興奮しました。すばらしい、しかも驚くべき発見です。もし、古文書のほかの個所も解明できたなら、私たち人類は宇宙の謎をすべて解き明かせることになるのでしょうか?」
ナカムラ教授は答えた。「息子たち、及び内外の高名な物理学者が、すべての解読を目指して調査研究を続けましたが、残りの個所についてはまったく不明であり、解読は不可能だということです」
「どうやら、われわれ人間が自分たちの力で解明したことに対してのみ、それに対応した記号群の把握ができるようです。私はここにこそ、逆にブッダの深い英知と慈しみを感じているのですが」質問した教授も聴衆も少しだけ落胆した様子であった。
(ブッダのはからい)
ブッダは自ら文字の記録を残さず、弟子たちにも禁じていた。教えはすべて口伝で行われていた。ブッダの入滅後に文字による記録が始まったのである。
なにゆえブッダはそのようにしたのだろう。ナカムラ教授にはわかる気がした。ブッダは、地球を宇宙生命体の単なるガソリンスタンドにしたくはなかったのだ。自分の半身である人類をいつか、高次元の宇宙存在へアップグレードさせたかったのだ。
ブッダは確信していた。人類は、自らの意志と能力をもってバージョンアップを行わなければ、決して宇宙存在には到達できないことを。何よりも自らレベルアップの努力を続けることこそが、人類の最大の喜びであることを。
ブッダは人類の最終ゴールを示してくれた、そしてそのゴールに到達できる可能性も示してくれた。到達の度合いを確認する一里塚ももたらしてくれた。それが今回の古文書なのである。
(ブッダの本心)
いよいよ、最終講義は終わろうとしていた。ナカムラ教授は控室に待機させていた二人の息子を演壇に招き入れ、聴衆に深々とお辞儀をした。そして話をこうしめくくった。「話を終わるにあたり、私の心に届いたブッダの本心を伝えることにいたしたいと思います」
「心優しき母マーヤの血を引く半人類・半宇宙人であったブッダは、地球のため、人類のために、あえて肉体を消滅し宇宙へと還りました。そして今も慈愛をもって人類を見守り、多くの人を少しでも苦悩から救おうと、ともに悩み、ともに歩んでおられます。決して万能の力とは言えないので誤解する人もいるのではありますが。。。さて、ブッダの本心とはこうなのです」
「人類よ、早く私のところへきてください。シッダールタはあの地球で過ごした日々、ともに生きた人々、地球の生きとし生けるもの、地球の大自然が懐かしくて愛おしくてならないのです。みなとまた大宇宙で思い出話を語り合いたいのです。私は、、、寂しいのです。。。」
万雷の拍手でナカムラ教授の最終講義は終わった。ナカムラ教授とその一族こそが、実は、時空を超えたブッダの高弟であることを疑う人はだれもいなかった。
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※中村元(はじめ)著『ゴータマ・ブッダ(釈尊の生涯)』春秋社「中村元選集第11巻」より引用及び参考にいたしました。
※ストーリーは、上記の本とは一切関係がありません。
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