ロートル・ネットシンドローム

[ 0 ] 2022年6月5日

誤解曲解かもしれませんが・・・。

十数年前「携帯を持ったサル」という本が出版されました。もしかしたら「スマホに乗り換えた老猿」という本も出るのではないでしょうか?

今やfacebookだ、ブログだ、twitterだ、メールだ、チャットだ、グループウェアだ・・・と、老眼まなこを見開き、白髪頭を掻き掻き、震える三本指打法で四六時中近況連絡をタイプする日々です。これは一種の病気ではないかと思えてきたんですが?

思い起こせば20年前、東京のソフトウェア会社の満員エレベーターで見た光景が、今や私自身の姿になっています。

その光景とは、ギュウギュウ詰めのエレベーターの中で若き男性社員が頭の上にノートパソコンを持ち上げてメールを読んでいたんです。まるで海で溺れかけた人が大事な荷物をぬらさないように必死になっているような格好で。

そのときはこう思いましたよ。「そこまでしてメールを読まなくちゃいけないの?」「この人は四六時中メールを見てるんだろうな、まるでネット中毒だ!」ほどなくして、私も似たような姿になってしまいました・・・。

確かにスゴイですよ!facebookは革命を起こしたし、友達?もすぐにいっぱいできるし。ブログを書くと何ともいわれぬ自己満足という錯覚に。twitterを読めば監視カメラでも見たような変な快感。

でもtwitterで「いまおならをしました」と書いて、「出ましたか!」って返すのっていったい何なの?と思うんですよ。若い子たちならいざ知らず、ロートルたちがやるのはちょっとね・・・。だけど何か文化の主流みたいな感じで乗り遅れちゃヤバイよと思ってるおんちゃん、じいちゃんたちも多いしな・・・。

これらのツールを使う前に、きちんと本を読んでいたりとか、実際に様々な体験や創造をしたりとか、つまり中身がしっかりあって、それを深めたり、広めあったりするというのなら納得できるんですがね。どうもツールで遊んでいる猿みたいに思えてきていや〜な気持ちになることがあるんです。古いのかな?

「だったらしなけりゃいいじゃない?」そのとおりなんですが、これらの道具が世の中の主装置となってしまったんで、そうもいかなくてあれこれ考えているんですよ。これらすべてが会社でも使うものになってきているからね。

私は古いんだな・・・きっと。新しい価値とか使い方を考えないといけないな。

そうしたらこんな詩に出会いました。昔も今も同じなんだな。

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 茨木のり子詩集
「倚りかからず」より

 「時代おくれ」

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
(山門だって 木戸しかないのに)
はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
もっともっと遅れたい

電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小舟を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも

旧式の黒いダイアルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

Category: いきいきマイウェイ, キラっと輝くものやこと, ユニーク人生, 変なこと, 未分類

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