未来の幸せエネルギー

[ 0 ] 2011/05/23

2011年5月13日 朝日新聞朝刊より

限界のないリスク  近代社会が生んだ不確実性の象徴

どうやら私たちは途方もないリスクの下で暮らしているらしい。被害がいつまで、どこまで広がるかわからない福島第一原発の事故は日常に潜むそんな不気昧さを意識させた。その正体は何だろう。1986年のチェルノブイリ事故の前すでに、今日の世界を「リスク社会」と喝破していたドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベック氏に聞いた。

ururi1.jpg

社会学者 ウルリッヒ・ベックさんは1944年生まれ。独ミュンヘン大学教授。英ロンドン大、米ハーバード大でも教える。著書に「危険社会」「世界リスク社会論」など

-今日の世界にとって福島の事故はどんな意味を持つのでしょう。

「あのような大災害が起きたときに、私たち人間には何の備えもできていない、ということです」

-あのような、とは?

人間自身が作り出し、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害です。通常の事故は、たとえば交通事故であれ、あるいはもっと深刻で数千人がなくなるような場合であれ、被害は一定の場所、一定の時間、一定の社会グループに限定されます。しかし、原発事故はそうではない。新しいタイプのリスクです」

「そんな限界のないリスクをはらんでいるのは、原子力だけではありません。気候変動やグローバル化した金融市場、テロリズムなどほかの多くの問題も同じような性格を持つ。近代社会はこうしたリスクにますますさらされるようになってしまいました。福島の事故は、近代社会が抱えるリスクの象徴的な事例なのです」

-なぜ、そのようなリスクが広がっているのでしょうか。

「近代社会では、人間の意思決定がリスクを生みだしているからです。近代化というプロセスと深く結びついています。新しいテクノロジーが開発されたり、投資活動が進んだりしたから生じているのです」

-日本では、多くの政治家や経済人が、あれは想定を超えた規模の天災が原因だ、と言っています。

「間違った考え方です。地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ企業であれ、人間が決めたことです。自然が決めたわけではありません

「18世紀にリスボンで大地震が起き、深刻な被害が出たとき、当時の思想家たちは、どうして善良な神がこんな災害をもたらすのかと考えた。今日、神を問題にするわけにもいかず、産業界などは自然を持ち出すのです。しかし、そこに人間がいて社会があるから自然現象は災害に変わるのです」

「これはとても重要なことですが、近代化の勝利そのものが、私たちに制御できない結果を生み出しているのです。そして、それについてだれも責任を取らない、組織化された無責任システムができあがっている。こんな状態は変えなければいけません」


産業界や専門家に判断独占させず市民の関与進めよ

ururi2.jpg

-原発が大災害を引き起こす確率は低いと言われていました。

「たとえ確率が千年か1万年に1度だと言われていても、こういうことは起きるのです」

「19世紀、欧州などでは、近代という時代が生み出す不確実性やリスクに対処するための仕組みが開発されました。たとえば、失明したり腕を失ったりする危険に向き合うために、お金で補償する保険という仕組みが発展した。これは進歩を可能にするための社会契約だったともいえます」

「ところが、保険制度は原子力事故のリスクに対応しきれません。備えられている額は、必要な額よりはるかに少ない。実際のところ保険という仕組みを超えているのです

―つまり、問題の大きさに見合う解決策がないということですか。

「現代の問題を19世紀の枠組みで解決しようとするのは誤りです。たとえば、複数の化学工場からの有害な排気にむしばまれた町の住人が、賠償を求めて裁判を起こす。ところが被害は明らかでも因果関係がはっきりしないからと裁判で負ける。また、チェルノブイリ原発事故による犠牲者について、数十人という見方もあれば、はるかに多い数を挙げる説もある。なぜ、そうなるのか。事故の影響が広範で複雑で長期にわたるからです。チェルノブイリでは、まだ生まれていない人が被害者になることだってあるかもしれない」

私たちが使っている多くの制度が、元来はもっと小さな問題の解決のために設計されていて、大規模災害を想定していないのです

「私たちは、着陸するための専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、離陸してしまったようなものです。あるいは、自転軍用のブレーキしかついていないジェツト機に乗せられたともいえるかもしれない」

-今、日本では被害の補償問題でもめています。

問題が起きて、その負担を国や市民に回すのなら、それは資本主義ではありません。同じ議論は金融システムについても言われました。巨大銀行は危機に備えなければならなかっだのに、そうしなかった。そして国がその後始末に乗り出した。これではまるで社会主義、国家社会主義です」

■   ■

-近年、温暖化問題への解決策として再び原子力への注目が集まっていました。

「原子力依存か気候変動か、というのは忌まわしい二者択一です。温暖化が大きなリスクであることを大義名分に『環境に優しい』原子力が必要だという主張は間違いです。もし長期的に責任ある政策を望むのであれば、私たちは制御不能な結果をもたらす温暖化も原発も避けなければなりません

「ただ、明日にでもすぐそうしなければならないと言っているわけではありません。多分長い時間が必要。しかし、そこを目指さなければならない。ドイツ政府は福島の事故の後、原子力政策を検討する諮問委員会を作りました。私も参加していますが、政府に原子力からも温暖化からも抜け出すタイムテーブルを示すよう求めることになるでしょう」

-第2次大戦後、日本の政治指導者たちは原子力を国家再建の柱の一つと考えました。しかし福島の事故では、それが国家にとって脅威ともなっています。

「昨年の秋、私は広島の平和記念資料館を訪れ感銘を受けました。原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心の声となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が、原子力に投資し原発を建設してきたのか。疑問に感じました

「確かに原子力政策は国家主権と深く関わっている。ドイツにもそうした面はあるけれど、今、ドイツではこういう考えが広まっています。他国が原子力にこだわるなら、むしろそれは、ドイツが新しい代替エネルギー市場で支配権を確立するチャンスだ、と。今は、この未来の市場の風を感じるときではないでしょうか。自然エネルギーヘの投資は、国民にとっても経済にとっても大きな突破口になる

■  ■

―制御不能なリスクは退けなければならないといっても、これまでそれを受け入れてきた政治家たちに期待できるでしょうか。

「ドイツには環境問題について強い市民社会、市民運動があります。緑の党もそこから生まれました。近代テクノロジーがもたらす問題を広く見える形にするには民主主義が必要だけれど、市民運動がないと、産業界と政府の間に強い直接的な結びつきができる。そこには市民は不在で透明性にも欠け、意思決定は両者の密接な連携のもとに行われてしまいます。しかし、市民社会が関われば、政治を開放できます」

「ドイツのメルケル首相は、温暖化問題の解決には原子力は必要だと考えていました。しかし、福島の事故で、彼女は自分が産業界のとらわれ人であったと感じたのではないでしょうか。彼女は初めて市民運動の主張をまじめに考えなければならなくなり、委員会を作り、公に議論する場を設けた。産業界とは摩擦が起きるでしょう。しかし、これは政治を再活性化し、テクノロジーを民主化します」

「産業界や専門家たちにいかにして責任を持たせられるか。いかにして透明にできるか。いかにして市民参加を組織できるか。そこがポイントです。産業界や技術的な専門家は今まで、何がリスクで何かリスクではないのか、決定する権限を独占してきた。彼らはふつうの市民がそこに関与するのを望まなかった」

-日本でも「原子力村」と呼ばれる閉鎖的なサークルヘの批判が起きています。

ドイツでも80年代まではそうでした。しかし、その後変わっていった。こういうときは、世界に自らを開き、もっと協力し合わなければなりません。グローバル時代には、どんな国の国民も、これらの問題を自分たちだけでは解決できません」

取材を終えて

前の時代の問題を解決するために人は新しい考え方や社会の仕組みを創りだし、技術を開発して次の時代を築く。ところが今度は、その「解決策」自体が新たな課題となってのしかかる。話を聞きながら、原発や金融市場だけでなく、ほかにも当てはまりそうに思えた。政党、ナショナリズム、マスメディア……。

投稿者:ノボ村長 エリア:独創研究所 初出2011.5.23

Category: 大切みらい研究所, 未来の幸せエネルギー

コメントはこちらへ

CAPTCHA