「敗北を抱きしめて」より

[ 0 ] 2016年1月13日

1999年アメリカで出版され、ピュリッツァー賞などを受賞したジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』を、遅ればせながら読んでみました。

現行憲法誕生の頃、「戦後」の起源について認識を新たにしました。

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戦後の世相、東京裁判、憲法制定、天皇制、それらの内実を詳細に書いています。

いかに学者であれアメリカ人である著者が、日本文化や民衆心理も含め、こんなにも当時の日本について知っているとは驚きです。

いや、アメリカ人であるからこそ日本人が知り得ぬ情報も把握し、さらに日米両国の観点を持てることで、この貴重な本を書くことができたのでしょう。

「戦後」の起源

天皇制を抱擁し、憲法を骨抜きにし、戦後改革の巻き戻しに道をつけて、占領軍は去った。

日米合作の「戦後」がここに始まる。

この時代の政治家を祖父にもち、その複雑な心境を受け継いだ多くの世襲議員たちはもとより、私たち国民の多くもこの時から始まる「戦後」に対して何らかのトラウマを沈潜させています。

その原風景をかいま見たような気がしました。

著者はこの本で、いわゆる保守派の主張していることを肯定しています。

それは、天皇制存続と引き換えた「もらいもの憲法」であり、勝者が敗者を裁く「いかさま東京裁判」であったことを。

しかし、もうひとつ大切なことを、とても短い言葉で書き加えていました。

それはたとえもらいものであったにしても、時の保守本流は、この憲法(九条)を心から愛していたという心象風景です。

今の保守革新の風景とは鏡像のように反対だったのです。

下巻P169

こうした状況の下で、人々の議論には深いシニシズムと混乱がつきまとっていた。

とはいえ、提案された憲法には、敗北し戦火に破壊しつくされた国において、希望と理想を指し示す灯台の光のような大きな魅力があった。

日本人は、二十世紀中葉にあって最も進んだ開明的で「折衷主義的」な思想を具体化した国民憲章を採択しようとしている、と告げられていた。

国権の発動としての戦争を放棄し、幣原(時の総理大臣)の言葉にあるように、この国は自分たちが世界をリードしているとさえ見なしていたかもしれない。

四流国に成り下がったと言われた、自尊心の強い民族にとって、これは心慰む新しい種類のナショナリズムであって、しっかりとつかまえておくべきであった。

この「もらいもの憲法」には、実は共産党だけが反対をしました。

下巻P170

天皇制の存続は反民主的であり、軍国主義者から最も厳しい弾圧を受けてきた自分たちではあっても、いかなる国も自己防衛の権利を否定することは非現実的であり、差別的であるというものであった。

下巻P186

吉田は、「もし我々が心の片隅で武力による自衛という考え、または戦争の場合に軍事力によって自衛するという考えを保持するならば、我々は自ら日本の安全保障を妨げることになるだろう」と言ったのである。

この老齢の首相によれば、真の安全保障とは他国の信頼を勝ち取ることにあるのであった。

吉田のこうした言葉には確かにスタンドプレーのようなところがあった。というのは、占領の終結を早め、世界各国に日本が受け容れられるようになる最良の方法は、軍国主義の徹底的な放棄を強調することにあると確信していたからである。

しかし、同時に第九条は、敗北に打ちのめされて戦争を嫌悪し、世界の多くの国々から日本人は本質的に軍国主義者で信用ならないと非難されていることを重く受け止めた人々にとって、抗し難い心理的な魅力があったのも事実である。

戦争の放棄ーケロッグ=ブリアン条約(パリ不戦条約)の理想の純粋な具現者になるという可能性ーは敗北の中でも自分たちには独自の価値があるのだという肯定的な感覚を保持する道を提供したのである。

このように、当時の保守本流はこの憲法を自らの灯明としていたのです。

このへんの具体的なことは、以前「憲法九条の思想水脈」という本を引用したブログに書きました。

→憲法誕生の頃

やがて朝鮮戦争の勃発により、憲法九条は(産みの親である)アメリカによってねじ曲げられることになっていきました。

下巻P186

第九条に関して言えば、混乱はマキャベリズム的なごまかしの意図にはじまったのではなく、草案の文章のまずさから発生したものであった。そのうえ、占領が続いているという状況の下では、自衛の問題は差し迫った関心になることはほとんどなかった。

1950年、朝鮮戦争の勃発を契機に再武装が開始された時までは。

そしてその時保守派とアメリカは、芦田によるかすみのかかったようにわかりにくい修正文言のなかにあった抜け穴を見つけ、逆に再軍事化に反対する者たちは「平和憲法」には非武装中立の理念がしっかりと埋めこまれていると確信し、この理念の下に結集した。

第九条はその後何十年にもわたって国家を苦しめる論争の試金石となったのである。

超高齢社会、低成長時代、3.11の悲劇、うちひしがれた状況は、ある意味「戦後」と似ています。

「戦後」を担った(保守本流の)政治家たちが、当時(一時的にせよ)心の支えにした「理念」とは実は何だったのか、なぜだったのかについて振り返ることは大事なことと思います。

「真のナショナリズム」というものを考えるうえで。

参考
ノボ辞典「憲法九条」
憲法誕生の頃

BY NOBO

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