内職のおばちゃんブランド

[ 4 ] 2014年1月30日

この記事を載せたのはもう3年前になります。

でも自分自身この話がとても好きなんです。

「どんな仕事にも独創はありうる」ことを教えてくれたからです。(ノボ村長)

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「ガイアの夜明け」というテレビ番組をみて思わず涙が出ました。倉敷にある小さな縫製工場のお話しです。


mitsuzanekouzou.jpg職人一筋の社長は、職人の魂を大事に持ち続け、細々ながらも質の高い服やズボンを作り続けていました。その社長を支えているのは何十年も仕事をともにしてきた内職のおばちゃんたちです。

そんな彼の元にある日、評判の子供服ブランドを立ち上げた若干28歳の若社長が訪れました。miuyamotoyusuke.jpg彼は職人社長にこう提案しました。日本から縫製の灯を消した中国に、逆に日本から職人技の製品を持って乗り込もうと。

何とか日本に縫製の灯を保ち続けたいと願う職人社長は引き受けました。関税も含めた不利な価格競争に立ち向かう手段は、集団就職以来何十年もミシンを自分の体のようにして働いてきた、内職のおばちゃんたちの神業的に熟練した手早い作業でした。

当初内職のおばちゃんたちは及び腰でした。私たちは皆高齢であとを継ぐ人もいない。あと何年かしかできないのではないかと。社長は言いました。私たちが何もしなければ後を継ぐ人は出ない、しかし魅力を創れたらきっと継ぐ人が出るだろう。

そして中国で販売が始まりました。しかし、どんなに頑張っても中国製の二倍の値段が精一杯でした。最初は中国の人たちも買うか買わぬかとても迷う人が多いのでした。ところが、一人っ子政策で子や孫にはお金を惜しまない風潮や富裕層が増えてきたことなどから、値段より手造りの質の高さを評価する人も多く、どんどん売れるようになってきました。

naisyoku.jpgある日、縫製工場の社長が内職のおばちゃんを訪ねました。そして一人一人の名前が入ったハンコを渡しました。これを自分が縫製したズボンに押して納めてくれと言って。このとき、内職のおばちゃんの目から涙がこぼれました。

内職の作業が職人の仕事に変わったのです。

おばちゃんの名前がブランドになったのです。

 

どんな仕事にも独創はありうる、私はこの番組を見て心から確信しました。

投稿者:ノボ村長 エリア:キラこと 初出:2011.1.11

Category: キラっと輝くものやこと, 大切なこと, 好きな記事!, 工夫したこと

Comments (4)

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  1. くま より:

    記事を見て感動しました。
    あえて日本の縫製を中国に売り込む挑戦、それに応えて大量生産では得られない価値を手に入れた。
    機械では出来ない、人にしかできない、自分にしかできない事で価値を認めてもらえることはどれほどの喜びでしょう。
    おばちゃんは、自分の仕事に誇りを持ってもっと素晴らしい仕事をしてくれるはずですね。
    一人一人の仕事は本来はこうあるべきなのかもしれませんね。

  2. ノボ より:

    技術立国で大量生産のメリットを享受した日本が、今では逆にレトロな職人技で勝負というのは歴史の皮肉かもしれませんね。しかし、しごとの原点はやはりここ(人のプライド)にしかないと感じます。かつて、ほっかほっか亭ができたとき惣菜業というのはもっとも成長性がないとみなされていたそうですが、そこに温かい弁当という新たなコンセプトを持ち込んだら大成功となりました。なにか通じるものがあるような気がします。

  3. ゴリ より:

    いい話ですね。ビジネスと職人やスタッフの人間関係を問い直す,根本的なあり方のヒントがありそう。このページでさわりが紹介されてるみたいですね。
    http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:_llKHnd5iZYJ:www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview110104.html+ガイアの夜明け%E3%80%80内職のおばちゃんブランド&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=safari

  4. ノボ村長 より:

    縫製工場の社長さんはゴリさんと兄弟のような顔をしているね(笑)
    かなり通じるところがあるでしょう。
    この番組は良かった!企画する人も、作る人も、買う人もみんな満足できる、
    それも一人の人間として。これが本来のしごととというもんだな~と思いました。

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