ヒトだけが旅をする
知りませんでした・・・ヒトだけが旅をする、というか、できるんだそうです。渡りをする鳥も、所属集団を替えるサルもいます。でもそれは各個体の生活圏での行動で、見ず知らずの生活圏に入る「旅」をするのはヒトだけなんだそうです。だから何?という話がこれから続きます。
霊長類を研究している榎本知郎(ともお)先生の著作「なぜヒトは旅をするのか」という本を読みました。スゴイ本です。類人猿の研究から先生はヒトのヒトたる所以について明らかにしてくれました。
この本を読むまでは人間くらい縄張り根性が強く、いさかいが絶えない生き物はいないと思っていました。でもこの本によるとそれとは真逆で、人間だけがいさかいをなくせる可能性を持っている生き物だというのです。
このままでは人類が人類同士の争いでいつか地球が滅亡にいたるのではと思っていましたが、少し希望が出てきました。その可能性とは「許容」という人間だけが持つ他者との関係性にあります。
実はあらゆる生き物、人間に近い類人猿ですら、その社会は「うちの集団」か「よその集団」しかない。ところが人間にはその間に「仲間でもよそ者でもない」という中間段階の「許容」というレベルの観念があり、人類の遺伝子に等しく刷り込まれているらしいのです。それは中立的で、強い感情を伴わない対人関係のことです。それが「旅」つまり見ず知らずの人たちとの交わりを可能にしているということのようです。
この具体的な例は古今東西、世界のあらゆるところで散見されます。異国の旅人になんら対価を求めることなく、時には身を削ってでも旅人に食料や寝床を与えることは、法顕、玄奘、マルコポーロ、大黒屋光太夫、エスキモー、アラブの隊商など、旅行記、遍歴、慣習にたくさんの例があります。
さらに無償の奉仕は旅人だけに限りません。今、震災の復旧に全国から支援に来てくださるボランティアのように、私たちは強い仲間集団でない集団に対しても本能的に「助けたい」という「利他行動」の習性を持ってます。
この本によればこの「利他行動」を促す「許容」という観念を有効たらしめるのが「包括適応度」という進化学の概念だそうです。「適応度」は自分の生存率が高まること、「包括適応度」とは種族の生存率が高まることです。ハミルトンという学者が1964年に提唱した進化学上画期的な概念だそうです。
ヒトにはたとえ自分という個体の適応度つまり生存率が下がることになっても、種全体の生存率を高める包括適応度を上げる行動を選択する遺伝子が存在し受け継がれているとのことです。ヒトは氷河期をはさむことによって生じた隔離によって、遺伝子がクローンのように共通な生き物なんだそうで、それゆえすべてのヒトが同一の観念を等しく持っているらしいのです。
今までは「思いやり」とか「支援」とかはヒトが後天的に身に付けていく感情であり美徳であると思っていました。人間の本性は基本的に自己中心の弱肉強食であるとも思っていました。ところが「利他行動」こそが、人間が遺伝的に持つ本能なのだということは、仕事に対する考え方も変える可能性を秘めています。それは弱肉強食的原理から共生的原理への転換です。
さて、まだなぜヒトだけが旅をするのか話していませんね。筆者の言葉を引用します。
それは、未知の世界を知りたいからだとわたしは考えている。世界を知りたいという欲求は、ヒトならだれしももち合わせているものだろう。その心が信仰を生み、科学を生んだ。
(中略)
古今東西、旅によって得られる世界情報は常になにがしかの価値があった。情報は玉石混交であったにせよ、作物などの情報は確実に包括適応度を上昇させたに違いない。そうなるとヒトの進化の過程で「旅する心」が遺伝的に固定されたはずである。これはもともと”遺伝子の論理”なのだから、個体のあずかり知らないことだ。さりながら、ヒトの精神に植えつけられた「旅する心」は、人をして「世界を知りたい」とか「旅がすき」などといわしめるのである。
わたしは各国を旅し、多くの文化や人に接してきた。旅の道すがら、わたしは絶えず、なぜヒトは旅をするのか、なぜこんなにも旅が楽しいのかと、自問してきた。その回答を、こうして本書にまとめることができたのも、旅のおかげである。旅はヒトだけに許された特権なのだ。これを楽しまなくては、損というものではないだろうか。
もうひとつ人類の未来への希望に関係する段を引用します。
いろんな民族が共存するには、相手を”味方”と見なす必要はない。それは感情をともなうから、逆転するとむしろ危険なのである。もっと中立的な、感情をともなわない、”許容関係”をめざすことこそ共存の道だと、わたしは強く思っている。まさに許容こそ、ヒトだけが進化の過程で獲得した、ヒトらしい関係性なのである。
投稿者:ノボ村長
Category: キラっと輝くものやこと, 伝えたいこと