ユニークな視点の仏教史
ライフネット生命保険というネット保険会社を興し、現在は立命館アジア大学学長でもある出口治明さんの「全世界史講義」は、独自の歴史解釈があって、脳みそが覚醒させられます。
本の中に、宗教についてマーケティング?的解釈をされている文章があって、おもしろいな~~、人間くさくていいな~~、と思いましたので引用して紹介します。
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まずは、仏教黎明期の頃です。なにゆえ仏教は、ライバルのバラモン教を抑えて市場を拡げられたのか?
・・・当時のインドのガンジス川流域では。アーリア人を祖先とする人々が、鉄製の農具を牛にひかせて田や畑を耕していました。人が農具で耕すよりも、牛に犂(すき)を引っ張らせて耕すほうがずっと効率的です。
こうして鉄器と牛の組み合わせにより、高度成長が始まっていました。牛と鉄器を使った人は、お金を貯めて商人や地主になっていきます。余剰生産物が多く得られれば、自分は耕さないで、人を雇うようになります。すなわちブルジョアジーが生まれてきたのです。
ところが、その頃のインドの宗教はバラモン教です。これはアーリア人の持ち込んだ宗教で、何かあると牛を屠って神様に捧げます。ギリシャの風習と同じです。ギリシャでも牛を殺し、そのの臭いを神様に嗅いでもらったあと、自分たちが食べる。
すると、どうなるか。バラモン教の世界ではいちばん偉い司祭階級のバラモンが勝手に徴発して、神様が望んでいらっしゃると言っては殺していくわけです。これに対して農地を持っている人たちは、心のなかでは許さないと思っても、反論するロジックがない。
このタイミング登場したのが、ゴータマ・シッダールタとマハーヴィーラでした。そして、生き物は殺すべからず、もちろん牛も殺すべからずという思想を打ち出します。ブルジョアジーたちは、牛を殺さない分だけ豊かになれるわけですから、まさに自分たちの望んでいた教えだと飛びつきます。これが、仏教とジャイナ教がインドに根を張り始めた要因です。
やがてライバルのバラモン教は大衆向けの教えにかじを切り、ヒンドゥー教というブランド名に変更して市場の逆転を果たします。そこで仏教も大乗仏教という新たなマーケティング戦略で対抗します。
・・・都市から追い出されたバラモン教はヒンドゥー教となって、逆に都市の仏教を包囲します。仏教はあせり始めます。難しいことばかり言っていないで、わかりやすい教えにしないと生き残れない。そこで大改革を始めます。
第二回の仏典結集で、仏教はブッダの教えを忠実に守る上座部と革新的な大衆部に分かれましたが、ここに来て、多くの仏教のお坊さんたちが「ブッダは、本当はこう言ったのだ」と主張して、勝手に経典を書き始めました。知恵を説く般若系、宇宙と人間の一体を説く華厳系、西方極楽浄土を説く浄土系、理想主義的な平等思想を説く法華系などです。そしてこれらの論客たちは、自分たちの教えこそが大きな乗り物で多くの人を救うことができる大乗仏教であるといい、上座部の仏教を自分しか救えない小さな乗物、小乗だと批判しました。紀元前後から一世紀頃までの出来事です。
上座部の人たちは、これに対して、ブッダの教えを勉強せずに何を言うか、おまえたちこそ大乗非仏教であると言い返して、大論争になります。結局、シンブルなほうが勝ちます。南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経と唱えていればOKだというのは、ヒンドゥー教と同じです。
さらに、大乗仏教はヒンドゥー教のヴィシュヌ神を借りてきます。ただし名前は観音菩薩に変えます。ヴィシュヌは人を救うためにさまざまに姿を変え、千の手を持ったり、眼を持ったりします。このアイデアを借りたのが千手観音や十一面観音などです。
こうしてヒンドゥー教を真似て、大乗仏教が興ります。
大乗仏教の発生から五百年、一般大衆向けには飽き足らない富裕層が多くなってきました。そこで仏教は密教という新たな高級路線をつくって市場を確保しようとします。
・・・ここで思い起こして欲しいのですが、仏教が都市のインテリの信者に寄りすぎて、農民や貧しい人々がヒンドゥー教に流れてしまい、それを防ぐために大乗仏教が生まれたのでした。ところが今度は、それに対する不満がお金持ちやインテリ層から出始めました。平たく言えば、「観音さま、ありがとう」とか、「南無妙法蓮華経」だけでは物足りない。「俺たちは、もうちょっと賢いで。もっと高尚な教えはないのか」とインテリたちは考えるわけです。
これも無理からぬことです。そこで考えられたのが密教です。
ブッダの本当の教えは、むずかしくてオープンに大衆に話しても理解されない、ですから、あなたにこっそり教えます、という理屈なのです。そして宇宙の姿や智慧を絵にした曼荼羅を見せたり、サンスクリット語そのままの呪文を真言と称して唱えたり、いままでにない仏器や花を飾り、荘厳な世界を演出したわけです。「あなたにだけ、教えましょう」と。
これが密教ですが、その中で漢訳された一部の経典を日本に持ち帰ったのが、九世紀初頭の空海と最澄でした。
仏陀はじめその後の教祖の教えはもちろん深遠でありますが、布教には多くの人間が絡み、社会や政治体制の影響も大きかったので、このような動機もある程度あったのではないでしょうかね 。
「全世界史講義」では、キリスト教やイスラム教、儒教、道教、ギリシア哲学などにも、同じような視点で、ユニークな切り込みをしています。いつかまたピックアップして紹介したいと思います。
Category: キラっと輝くものやこと, 思いがけないこと