直感と超能力の話
直感を鍛えるとひとりでに超能力が得られる、という実例みたいな話に出会いました。
かつて、ダーウィンの弱肉強食ともいえる進化論に異を唱えた学者が京都大学にいました。
独自の「棲み分け」理論を提唱した今西錦司という方です。(故人)
その理論には、東洋的ともいえる「環境と生物の一体化」「共存と多様な相互関係」という生き生きした自然観がありました。
彼を親分として異なる様々な学問分野から若き学者たちが集いました。
彼らは京都学派とよばれ、探検や観察を主体としたとてもユニークな方法のもと、多くの分野で多大な業績を生み続けています。
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あまりにも「専門化」が進みすぎた、この世の中。
「一本の木だけに関心があって、森全体の荒廃に気づかない」人がますます増えてきたような気がします。
学者だけでなく、私たち一般人の多くも似たような思考スタイルになっている感じがします。
そんな今、今西錦司のコンセプトが、とても大切だな~思えてきました。
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ちぢめて言うとこんな感じでしょうか。
「理屈じゃないぜ、直感だよ!」
「部分最適じゃないぜ、全体最適だよ!」
今西錦司著『自然学の提唱』から興味深い話を一つ引用させていただきます。
「類推と直感」より
つぎに直観の話をすこし致します。
直観は類推とちがいまして、われわれが日常生活において、しよっちゅう体験しているものであります。
まず例をあげてみましょう。
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山へ行きまして、いままで登ってきた道が二つに分かれた。
右が正しいのか左が正しいのかわからんという場合どうするか。
そんな時は地図も磁石も当てにならない。
直観に頼る以外にないのです。
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山の中で霧に巻かれたり、吹雪に会ったりした時も同じことです。
ここを行ったらよいということがわかっても、なぜよいのかということがわからない。
みんなの納得できるように説明することができない。
理屈でなくてわかる。
それが直観というものですね。
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昔の行者なんかは、よく山へ行きまして滝に打たれていますね。あれは身を清めるためだといいますけれども、たとえば中西悟堂さんという、野鳥の会のボスがおりますね。
あの人はもと比叡山の坊さんだったんです。
その坊さんの時代に那智の滝に打たれにいった。
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その時の話ですが、はじめに滝の音がごうごうと鳴りひびいていて、なにも聞こえない。
しかし、そのうちにですね、いつかもうその滝の普が聞こえなくなってきて、四百米ほど離れたところにある家に住んでる人の話声が聞こえてきた。
おかしなこともあるもんやなと思い、その人を訪ねて、「さっきこんな話をしてましたか?」といったら、
「いかにもその通りだがあんたは滝に打たれていて、どうしてそれがわかったのか?」と聞かれたそうです。
それもまあ直観につながるんでしょうね。
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こういうことを考えますと、直観というのは精神集中することでなくて、むしろ、精神を解放する。
われわれはつねに意識過剰になっているが、その意識をすっかり追い払ってしまうということと、なにか関係があるのではないかと思えてきますね。
(1982年)
こんな不思議な超能力の話を聞かされると、今西錦司という人物と彼の理論に人間的な親しみが湧いてきますね。
参考
「生物の世界」拾い読み
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