臭い、匂い、香りを嗅ぐ話
絶対に消せない記憶、それは「嗅覚」による記憶だそうです。
それは嗅覚中枢と記憶を司る部位が近くにあるためだそうです。
だれでもが思い起こすのではないでしょうか、その「におい」を嗅いだ日のことを。
「プールのカルキ臭」「車の排気ガスの臭い」「工作で使ったセメダインの匂い」
「理科室のホルマリンの臭い」「運動着の汗の臭い」「図書館の匂い」
「仏壇の線香の香り」「稲わらの匂い」「朝露に濡れた草木のすっぱい匂い」
「かまどの匂い」「たき火の匂い」「青草の匂い」
「バラの香り」「初恋の頃、石けんの匂い」・・・
「におい」の種類には、まったくきりがありません。
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数年前の「啄木鳥通信」という季刊誌にはこんなことが書かれていました。
晴れた日に干した布団やタオルに顔を埋めたとき、なんとも心地よく、心安らぐことってよくありますよね。
それは太陽がもたらした匂いだと思われがちですが、洗濯後に残った汗や脂肪などの成分が、太陽の光や熱で分解されて発生した揮発物質なんだそうです。
薄まった自分の匂いを本能的に感知して、心が安らぐのかもしれません。
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メルヴィルの『白鯨(モービー・ディック)』という小説にも興味深い「香り」のことが書かれています。
『白鯨』にはアメリカの捕鯨船(時代は江戸時代末期)の詳しい様子が書かれていて、捕鯨国日本に育った私にはとても興味深い小説でした。
(コーヒー店チェーン「スターバックス」の名前の由来は、本作の一等航海士スターバックです。彼は、狂人的なエイハブ船長をただひとり諫めようとしました)
エイハブ船長と白鯨との最後の戦いは、文中からどうも「金華山沖」であるらしいことも知り、長編ながら二回読みました。
なぜアメリカはクジラを捕っていたか?
それはクジラ肉のためではありません。彼らは肉は捨てていました。
まず一番目に「鯨油」を得るため。
二番目にマッコウクジラの胆石をとるためだったのです。
その「胆石(結石)」から「龍涎香(りゅうぜんこう)」という香料を得るためだったのです。
やがてアメリカでは「鯨油」から「植物油」「石油」の時代へと移り、捕鯨は廃れていったのでした。
この小説はペリーの黒船来航の時期とも重なりますが、ペリーのそもそもの目的は、アメリカ捕鯨船への燃料(薪炭)補給のために開港せよということでした。
『白鯨』は日本にとっても縁深い小説といえるかもしれません。
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さて金華山行きの船が出る鮎川港は、三十数年前までは日本屈指の捕鯨船の漁港でした。
私も父や亡き母と一緒に毎年必ず鮎川から船に乗り金華山詣でを欠かしませんでした。
しかし3.11で鮎川港は壊滅し、今も復旧にはほど遠い状況です。。。
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前掲書から香りの話をもうひとつ。
香りを意味する「perfume」は、ラテン語の語源では「煙によって」という意味です。
火に木をくべた時に発生した芳香が語源といわれています。
面白いことに、日本でも同じようなことから香りの文化が始まりました。
推古三年(595年)、淡路島に漂着した流木を燃やしたところ、素晴らしい香りが立ち昇り、この木が推古天皇に献上されたという記録が「日本書紀」にあるのです。
聖徳太子がこれを「沈香(じんこう)」という名だたる香木だと教えたとされ、この香木は仏像になったとも、ご神体として祀られているとも言い伝えられています。
西洋においても「煙の匂い」と「宗教」には深い関係があるようです。
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「嗅覚」というものは生き物が自分の命を守るために発達させた、もっとも原初的な本能であるようです。
しかし人間は「嗅覚」を捨て、代わりに「視覚」を異常に発達させてきた生き物のように思えます。
視覚の世界のひとつに「映画」がありますが、アクション映画や戦争映画にはまったく「臭い」は感じられません。
でも、本当の「戦場」はいったいどんな「臭い」がするのでしょう?
「硝煙の臭い」「死臭」「腐敗臭」・・・
私もそんな「臭い」をあまり想像できません。
でも一度その「臭い」を嗅いだことがある人なら、決して「戦争」に対して「崇高さ」を感じることはないと思えます。
そんなわけで私には、「臭い」「匂い」「香り」の伝承というものはとても大切に思えるのです。
自分だけならまだしも、多くの人々を不幸に導くまちがった判断をできるだけしないために。
危険を避けて生きる能力、これが私たちが取り戻すべき「野生」の本来の意味ではないでしょうか?
NOBO
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