お江戸のアーバン・ライフ
どこから読んでも面白い!杉浦日向子さんの『一日江戸人』。今こんな町があったら住みたいな~と思います。
この前の選挙の時、あるワイドショーで原発再稼働反対を語った当選者に、キャスターが「江戸時代に戻れって言うんですか!」とまくし立てた場面が記憶から去りません。
このキャスターは、私たちの先祖が暗黒社会に住んでいたと本気で思っているのでしょうか?
だとすれば、もう少し「お江戸」の本を読んで、その頃の暮らしぶりを調べてみたらどうなのかな~と強く思います。
今の私たちだって、二百年後の子孫から私たちの時代の暮らしは「暗黒時代」だったなんて言われたら、誰でも心外に思うのではないでしょうか。
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江戸時代というか「お江戸の庶民生活」について知れば知るほど、なんて魅力的な社会だったんだろうと思わざるを得ません。
特に杉浦日向子さんの江戸学関連の本を読むと、楽しさにたまげることの連続です。
お江戸の社会が今よりも「笑い」にあふれた社会だったのは間違いないと思います。
(実際、江戸時代や明治初期に来日した宣教師たちは、庶民の笑顔の多さ、ほがらかさについて感嘆した記事を書いています)
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さて、私たちにはお江戸のご先祖が住んでいた「長屋」という(今で言えば)スモールハウスへの無意識の愛着があるのではないでしょうか。
というのは、私は(どういうわけか)スモールハウスに興味があって、このブログでも10編以上も書いています。
そのうち「和風なタイニーハウス」という記事には、多くの反響があったんです。
写真の通り、このハウスは「長屋」と「茶室」を併せたような感じです。
きっとご先祖さまも私たちも、こんな言葉で表される感性を持っているんでしょうね。
「コンパクト」「開放」「多様」「簡素」「瀟洒」「風流」「粋」「縮み」「凝縮」・・・
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ということで今回は、日向子さんに「お江戸の長屋」について、現代の不動産屋ふうに案内してもらうことにしました。
落語の世界を彷彿させられて、けっこう魅力的ですよ!
彼女の著書『一日江戸人』より一篇引用させていただきます。(読みやすいように小見出しをつけました)
大江戸住宅事情
東京は、全国で最も「賃貸住宅利用者」の多い地区なのだそうです。
つまり、最も持ち家の所有率の低い地区でもあるわけですが、坪単価数億円という都心の地価を思いあわせれば無理からぬことです。
善良な庶民が庭付き一戸建てを所有しようとしたら、都心から二時間は離れなくてはなりません。
すなわちそこは、都下近県となります。
一方おおよその目安として、3LDKの分譲マンションなら環状八号線の外側に、2DKの賃貸なら山手線の三キロ以上外側に求めることができ、それよりも都心はワンルーム賃貸の地域となるようです。
長屋はお江戸のワンルーム
江戸ッ子と呼ばれる江戸市民の八割は、このワンルーム派でした。
江戸のワンルーム、別名「九尺二間の裏長屋」は、東京のアーバン・ライフの原点です。
郊外の大家族型住宅では、家の内部に家長を核とした生活空間が形作られていますが、長屋の生活は外へ向かって開かれており、街全体が住人すべてにとってのひとつの居住空間となっています。
郊外に暮らす人は家に住み、都心に暮らす人は街に住む、そういう違いです。
家というよりはコックピットのようなものと考えたほうがよさそうです。
一月八万円で暮らせたお江戸
長屋では、親子三人が一か月一両あればひもじい思いをしないで暮らせました。棒手振り(ぼてふり)と呼ばれる零細商人でも一日四、五百文の稼ぎがありました。
一両を六千文として、約十~十五日間働けばひと月分の生活費がまかなえることになります。
わかりやすくするために、あえて一両を約八万円に換算(これは米十キロを約五千四百円としたもの)して、一か月の生活費の内訳を見てみましょう。
このように、一食三杯、おかずに特大切身を添え、毎日銭湯へ入り、週に一度は床屋へ行き、少々の寝酒だって飲める、という生活ができましたた。
親子三人でコウですから、独身者なら、月に六、七日も働けばよいのですが、実際は長屋の中で空きっ腹を抱えてゴロゴロしているナマケ者が多かったようです。
長屋の壁は薄く、隣の物音ばかりか、おかずの匂いまで筒抜けです。「椀と箸を持って来やれと壁をぶち」という古川柳からは、長屋独特の人情が香ります。
日く、狭いながらも楽しい長屋。
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by NOBO
(参考)
→三百年前の未来予想図
→貧・望太郎の冒険その3
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