経済人としてのゲーテ
水木しげるさんの奥様布枝さんは「ゲーテの言葉はとても健康的だと思いました。」と語っています。
詩人ゲーテは政治や経済に余儀なく関わらざるをえませんでしたが、逆にそのことが彼の言葉や作品の大きさ、深さ、調和に寄与したのではないでしょうか。
経済人としてのゲーテを感じさせる文章がありました。
「ゲーテの深い言葉」第13話を書きました。
ゲーテがかつて運営の総責任を任されていたワイマール国立劇場が1825年焼失してしまいました。
新しい劇場建設計画が真っ最中のその年の五月、ゲーテは彼独自の「公企業経営論」をエッカーマンに熱く語りました。
現代にも十分通じる貴重な内容です。
岩波文庫『ゲーテとの対話』下巻p104
1825年5月1日「劇場の繁栄にとって何より危険なのは」とゲーテはつづけた、「監督自身、現金収入が多いか少ないかをさして気に病む必要もなく、気苦労のない安定した生活を送れるような状態にある時だ。つまり、劇場会計の年間収入で欠損になった分を、年度末に他の財源でおぎなえるようなばあいだね。個人的な利害得失に追いまわされていないと、安易な仕事をするというのは、どうやら人間の本性らしい。
目下のところ、ヴァイマルのような町の劇場を独立採算にしろとか、国家予算からの年々の補助は必要でないとかを望むのは無理だ。けれども、ものにはみな限度がある。年間千ターレルの増減がどう転んでもいいというわけではない。とりわけ、劇場の収入が減れば、質が悪くなるというのは自然の成り行きだし、そのために金を逃すだけでなく、同時に名誉まで失うことになるよ。」
「もし、私が大公の立場にあるなら、今後監督が交替するさいには、一年分の補助金として一定の金額をあらかじめはっきり決めておくだろう。最近十年間の補助金の平均を確かめ、それに従って、これだけあれば恥ずかしくないと思われている維持費の金額を切りつめるだろう。その金額でやりくりしてもらわねばならぬ。
その上、私は一歩進んでこういうだろう。監督が舞台助監督の協力を得て、賢明な指導を精力的に行い、その結果、年度末の会計に黒字がでたなら、この黒字分から監督、助監督、そして舞台で優秀な働きをした座員に報奨金を支給するだろう、と。こうなると、まず大丈夫、活気がでてきて、劇場はしだいに陥込みつつある仮眠から目が醒めるだろう。」
わが劇場の規約には」とゲーテはつづけた、「なるほど様々な罰則がある。けれども、目ざましい成績を挙げるよう奨励したり、成績に酬いたりする規約は、一つもない。これは重大な欠陥だ。なぜなら、過失を犯すたびに俸給を減らされる心配があるのだから、期待されていた以上に働いたばあいは、報奨金をもらえる見込みがあってしかるべきだよ。全員が期待され要求されている以上のことをやることによって、劇場は栄えていくのだからね。」
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働く人のやる気が職場の活性化につながり、それが仕事のクオリティーアップを促し、結果として利益も上がる。それをまた働く人に還元していくしくみで経営は好循環となっていく。
現代にも大いに当てはまる(特に公共経営に)人間中心のゲーテの経営論だと思いました。
さらに、ゲーテは『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』で、主人公の親友ヴェルナーに次のようなことを言わせています。
岩波文庫『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』上巻p54
「真の商人の精神ほど広い精神、広くなくてはならない精神を、ぼくはほかに知らないね。商売をやってゆくのに、広い視野をあたえてくれるのは、複式簿記による整理だ。整理されていればいつでも全体が見渡される。細かしいことでまごまごする必要がなくなる。複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ」
「失敬だが」とヴィルヘルムは微笑みながら言った。「君は、形式こそが要点だと言わんばかりに、形式から話を始める。しかし君たちは、足し算だの、収支決算だのに目を奪われて、肝心要の人生の総計額をどうやら忘れているようだね」「残念ながら君の見当違いだね。いいかい。形式と要点は一つなんだ。一方がなければ他方も成り立たないんだ。整理されて明瞭になっていれば、倹約したり儲けたりする意欲も増してくるものなんだ。やりくりの下手な人は曖昧にしておくことを好む。負債の総額を知ることは好まないんだ。その反対に、すぐれた経営者にとっては、毎日、増大する仕合わせの総計を出してみるのにまさる楽しみはないのだ。いまいましい損害をこうむっても、そういう人は慌てはしない。どれだけの儲けを秤の一方の皿にのせればいいかを直ちに見抜くからだ。ねえ、君。ぼくは確信しているが、君がいちど商売の本当の面白さを知ったら、商売でも、精神のいろんな能力を思うさま発揮できるということがよくわかると思うよ」
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複式簿記の目的・効用、つまり経営者にとっての「鏡」であり「望遠鏡」であることを、これほど正確にわかりやすく述べた文章はないでしょう。
(追記:ゲーテは複式簿記の知識の重要性を認識しており、ワイマール公国の大臣であった時に学校教育に簿記の授業を義務付けたと言われているそうです)
公企業の非効率はそもそも『複式簿記』を用いていないからだと私は思っています。
そして世界共通語とは、実は『複式簿記』であると私は思っています。
ゲーテがもし現代に生きていて、やむなく経済界に身を投じたとしたら、きっと存在価値の高い企業の名経営者となったに違いないと私は思います。
しかし忘れてはいけないことがあります。
それは、ゲーテは「経済人」だけではなかった。その前に「人間」であり続けたということです。
参考
→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
→ゲーテ「趣味について」
→ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
→ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
→ゲーテ「相手を否定しない」
→ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
→ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
→ゲーテ「好機の到来を待つ」
→ゲーテ「独創性について」
→ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
→ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
→ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
→ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
→「経済人」としてのゲーテ
→ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
→ゲーテ「想像力とは空想することではない」
→ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
→ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
→ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
→ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
→ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
→ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
→ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
→ゲーテ「個人的自由という幸福」」
→ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」
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