石器時代の幸せ
石器時代といえば、東京大空襲を指揮しベトナム戦争では「旧石器時代に戻してやる!」と豪語したルメイ将軍の言葉を思い出します。
でも石器時代ってそんなひどい時代だったのでしょうか?
見方を少し変えれば今の時代のほうがひどい時代なのかもしれません。
良質な歴史書は、そんな新しい視点を私たちに与えてくれるものです。
そして、私たちが陥っている「無意識の囚われ」に気づかせてくれます。
「もっとましな世界」への転換はそこから始まるのでしょう。
・・・・・・・・
『137億年の物語』という本を気が向いたときに少しづつ読んでいます。
506ページもあるとても分厚い歴史啓蒙書ですが、とっても読みやすい!
それもそのはず。英国サンデータイムス紙の記者であったクリストファー・ロイド氏が自分の子供のために書いた本だからです。
彼の5歳と7歳になる二人の子どもがともに11歳になるまで、学校ではなく、家で奥さんと一緒に教育していたらしく、子どもたちに自然科学と歴史を双方向から教える必要にかられたのが、この本をつくるきっかけだったとのことです。
「宇宙が始まってから今日までの全歴史」を図や写真も豊富に入れながら、とてもわかりやすく執筆しています。
わが小一の孫も、絵や写真ひらがなだけを拾い読みしながら、興味深く読むというか眺めていることがあります。
子供にはちょっと難しい?と思える本でも、良質な本は子供の近くに置いておくということが、親(や爺)の大事な教育だと私は思っているんですよ。
さて、先日読んだのは石器時代の話でした。 (日本なら縄文時代の生活でしょうか?)
狩猟採集民の暮らし
人類は、誕生してから現在までの年月の99パーセントを、
住む家も、フルタイムの仕事も、
そして個人の所有物もないまま、自然の中で暮らしていた。ほしいものが何でも手に入る世界があるとしよう。食料は新鮮で、バラエティに富んでいる。するべき仕事はあるが、1日に3、4時間働けぼそれで終わりだ。好きなだけ寝て、好きなだけ休む。友だちや家族といっしょに、料理をしたり、話をしたり、ダンスをしたり、ただ楽しくすごしていればいいのだ。
それに、家計や住宅ローンや借金のことで悩まなくていい。試験も資格もキャリアもないし、業績評価も昇進も降格もない。失業することもなく、法律や警察の世話になることもない。そもそも、そんなものは存在しないのだ。
ほしいものがあれば、近くにいる友人や隣人が見つけてくれる。もし彼らが持っていたら、貸してくれるはずだ。
この世界では、病気になる恐れもほとんどない。今日わたしたちを悩ませている病気の大半はまだ生まれていないからだ。食物や天然資源が豊富にあるので、戦争や争いもめつたに起こらない。
どうだろう。かなり住み心地がよさそうじゃないか。そこに引っ越したくなっただろうか。
あいにく、現在、そんな世界はどこにもない。しかし驚くことに、人類は、地球に現れてから今日までの99パーセントの年月を、そんなふうに暮らしていたのだ。数多くの証拠から、石器時代の人々は穏やかで幸せな暮らしを送り、争いもめったに起きなかったことがうかがえる。
そのような生活を「狩猟採集生活」という。
およそ1万年前まで、家や村は存在しないか、あってもごくまれだった。人類は常に移動しながら暮らしていた。男たちは獲物を狩り、女たちほ果実や木の実を集めた。ときには女たちが狩りを手伝うこともあり、シカなどを捕えるときには、逃げられないよう、総出で取り囲んだ。
旅人として生きる、つまり放浪生活を送るということは、所有物がほとんどないということを意味する。
持っていくのは、持てる物だけだった。寒い時期には、動物の草や毛皮を身にまとえばいいし、暑い場所では裸になればいい。いりもしないものを持っていく必要があるだろうか?
持ち歩いたのは、最低限必要な食料とヒョウタンに入れた水、そして、狩りに使う槍や弓や矢、死んだ動物をさばくための石器、そして、火をおこす火打石だけだった。
そもそも個人所有という概念自体がなく、何でも皆で共有するのが当たり前だった。そのほうが、荷物が少なくてすんだからだ。
必要なときに必要なものを狩ったり集めたければよかったから、貨幣もいらなかったし、食料を保存する小屋や道具を入れる倉庫も不要だった。
資産も不動産もなく、「私有地につき狩猟禁止」などと看板を立てる者もいない。土地は、空気と同じく、すべての生物(植物と動物と人間)によって共有されるべき資源だった。
人類は、およそ250万年前にホモ・ハビリスとして登場したときから、いやそれどころか、300万年以上前にアウストラロピテクス(ルーシーの仲間たち)として登場したときから、このように自然の中で生活した。
彼らはまた、芸術を愛し、高度な文化を持っていた。
狩猟採集民は、わたしたちがその文化を知ることのできる最古の人々である。
なぜなら彼らが残した芸術作品が、フランス南西部とスペイン北部の洞窟の奥に、今も残っているからだ。彼らがはじめて壁に線を刻んだとき、美術の歴史がはじまったのである。
今日残っている最も見事な洞窟壁画は、1879年のある秋の日の朝、9歳の少女、マリア・サウトウオーラによって偶然発見された。
その日マリアは、サンタンデル近郊アルタミラにある屋敷の近くで、父親のマルセリーノといっしょに、奇妙な形の洞窟を探検していた。
長さ270メートルにおよぶ薄暗い洞窟の中を歩きながら、ふと天井を見上げると、そこには一面にウシのような動物の姿が描かれていた。
本書では現在も生き残る石器時代の子孫「ハザ族」の実に合理的な生活習慣について語りながら、次の言葉で、私たちが石器時代より「はるかに幸福な社会」と思いこんでいる社会へと、ページを進めてくれます。
では、いったい何が起きたのだろう?数万年にわたって幸せな生活を続けてきた狩猟採集民は、なぜその長年の習慣を捨てて、はるかに手間のかかる生活をするようになったのだろう。
そうです。実は。。。
今私たちは(何らかの理由で)「はるかに手間のかかる生活」を余儀なくしているのです。
ノボ村長
Category: キラっと輝くものやこと, 伝えたいこと, 大切なこと