洗濯物をクンクン嗅ぐ孫娘
嗅覚は生物のもっとも原初的な感覚らしいです。
先日、洗濯物を匂いで嗅ぎ分ける孫娘にびっくりしました。
娘から9歳の孫と5歳の孫娘の面倒を見てくれと頼まれた先日、女房と選手交代のときでした。
洗濯物をたたんでいた女房がしまうのに迷ったらしく、「このシャツ、だれのかわかる?」と孫たちに聞きました。
そうしたらすかさず5歳の孫娘が飛んできて匂いをかぎ始めました。
しばし犬のようにクンクンした後、迷いなく「これお母さんの!」と言いました。
はたで見ていた私は、何か意表を突かれたような気がしてあっけにとられてしまいました。
大人ならシャツの形状とか視覚的なもので判断するところ、すぐに匂いを嗅ぎにいく孫娘の原始的?野生に驚いたのです。
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そういえば女の子というか女性は匂いに敏感だな思うことが他にもありました。
10年くらい前のことですが、新しい車にのって会社に入ったら事務の女の子にこう言われました。
「新車の匂いがしますね」と。。。
「へ~すごい嗅覚だ!」と驚いた反面、なんとなく「怖いな~」と感じたこともを思い出しました。(今はその方はもうおりませんが)
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女性は匂いに敏感な反面、食べ物のきつい匂いに動じないのも不思議なことです。
わが孫娘は納豆が大好物で、毎食それも一度に2パック食べることもしばしばです。
ところが、孫でもやろっ子のほうは納豆の匂いが苦手らしくあんまり食べません。
そして納豆を食べ過ぎる妹をばかにするので、最近は孫娘も納豆を食べるとき必ず私にこう聞いてきます。
「じいちゃんも納豆食べる?」
私が「もちろん大好きだよ。なおちゃんと一緒にいっぱいに食べるよ」と言うと安心して食べ始めます。
女子は、キムチやらたくあんやら酢の物やら、パスタならカルボナーラとかペペロンチーノとか匂いがキツイのが大好きのようです。
特に発酵食品は女性に共通する嗜好物であるようです。
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その点、男の半分くらいは匂いがキツイのは苦手のようです。
かく言う私も孫と同じであんまり得意ではありませんでした。
今では納豆も酢の物も大好きですが、小さい頃は食べられませんでした。
それに今でもカルボナーラとかペペロンチーノとかはとても苦手です。
いつぞやのパーティーで、「誰の靴がにおうんだ?」と男同士疑心暗鬼したことがあるんですが、実は調理中のカルボナーラの匂いだったという笑い話もあります。
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発酵食品には匂いがきつい食べ物が多いようです。
「発酵」と「腐敗」は紙一重のものです。
それゆえ匂いがきついものも多いのですが、生命にとってとてつもなく大事な食品です。
発酵食品が私たちの身体を守ってくれているといってもいいほどです。
女性は生命を産み育てるというとてつもなく大切な役目をもっているがゆえに、生命にとって大切な食物に対して共通の嗜好を与えられているようです。
女性というのは、「生物」としての本能が男性よりも強いんだな~と畏敬の念を感じます。
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さて、私は「匂い」でものごとを考え判断するということがとても大事に思えてきました。
男はいくつになっても幼い理屈屋です。(女でも同様の人が増えてきましたが)
理屈の「原点」が良いも悪いも関係なく、論理的でシンプルでさえあればすぐ惹かれてしまいます。
だから理路整然と自信を持って話す人などにイチコロです。
ところが言葉というのは、目的に合わせどんなことだって理路整然と組み立てられるのです。
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昔からこんなことが言われてきました。
「なんかクサイ」「なんか臭う」
そういう感覚が今ほど大事なときはないような気がするのです。
理屈なんかどうでもいい、
「なんか、きな臭い。。。」
「なんかいや~な臭いがする。。。」
私たちの社会では、物事の判断に、言葉より「臭い」で「予兆」を感じることが必要ではないでしょうか。
きれいな理屈より、未来に何が起こるのかという「直感」を信じることが大事と思うのです。
もし「生命」をとても大事に思うならば。
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「硝煙の臭い」「死臭」「腐敗臭」・・・
実際にそのような臭いを嗅いだことのある人なら、言葉の前にきっとその臭いが蘇ることでしょう。
そして、その「におい」が言葉の出発点となるはずです。
残念ながら視覚中心の現代では、特に男は「臭い」も「匂い」も「香り」にも鈍感で「視覚」と「へ理屈」の奴隷です。
そんな意味で女性の嗅覚に、私はとても敬意を抱きつつ、生命の守護神として期待しているのです。
by NOBO
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匂いに関する過去ブログ
→臭い、匂い、香りを嗅ぐ話
→バーベキューの起源
→犬の匂い地図
→人間の香りがする会社