江戸の洗濯にびっくり!

[ 0 ] 2015年5月6日

思い出すな~、幼き日の冬、おふくろの手は真赤に腫れていました。

洗濯機が来た時の喜びの顔を今でも思い出します。

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50年以上も前の時代、電化製品は「救世主」でした。なかでも一番感謝されたのは「洗濯機」だったと思います。

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(くるくるローラを回して脱水していました。これってなかなかの発明でしたよね)

その後「テレビ」あたりから「救世主」は「サンタクロース」に代わりました。

現在はどうでしょう。生活に不要な家電だらけで、「サンタクロース」はとっくに引退したようです。

さて最近、江戸時代の洗濯について知ることになりとてもびっくりしています。

それは「着物」の洗濯のことです。

なんと!着物を洗うときはすべて糸をほぐしてバラバラにして行っていたんですね。

『大江戸生活体験事情』より田中優子さんの記述を借用致します。

江戸の洗い張り

しかし、同じ着物を孫子の代まで着続けるためには、よほどていねいに扱う必要があった。洗濯も、丸洗いして火契斗(ひのし=アイロン)をかけるなどという乱暴な扱いをすれば布がいたんでしまうから、洗い張りをした。洗い張りとは、着物の糸を解いてもとの八枚の布に戻してから洗い独特の方法で乾燥する洗濯法のことだ。

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 洗い終わると、浴衣などの木綿ものは、一反の布をやや余裕をもって張りつけられる大きさの(張り板)に糊づけして張りつけ、乾いたらはがしてまた仕立て直すのである。江戸の裏長屋で戸板をはずして洗い張りをしている絵があるから、張り板も買えない庶民は、こんな略式の方法を使っていたことがわかる。

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板に張りつけて乾かした布は、アイロンをかけたようにぴんとなるが、同時に風合いが失われるので、絹物などは伸子張りという独特の方法で乾燥した。洗濯した八枚の部分をもとの位置に並べれば、長方形の一反の布になるから、糸で簡単につづり合わせて一枚にまとめる。

しかし、このまま乾かせばしわになるから、一反の布の幅よりやや長い竹ひごの両端を尖らせた、あるいは細い鉄の針をつけた(伸子)を使う。尖った両端を布の端に軽く刺し、伸子を弓のように曲げて、布を幅方向に張らせるのだ。

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伸子は五センチ~一〇センチぐらいの間隔につけるから、布全体が均等に張ってしわが消える。全体に伸子をつけ終わると布の両端を板ではさみ、全体が水平になるように吊って乾燥させた。伸子張りは、板張りと違って、ゆるやかに支えられているだけなので、布の自然な風合いを生かしたまま乾かすことができた。

完全に乾燥するとまず伸子をはずし、つづり合わせた糸を抜いてまた八枚の部分に戻してから、仕立て直してもとの着物にした。今考えれば、よくもあれほど面倒なことを平気でやっていたものだと思うが、その時代にいれば、どこでもやっている当たり前のことなので、特に面倒とも大変とも思わないのである。

こんな洗い張りは、江戸時代までのことかと思っていたらさにあらず!なんと私たちの親の時代まで普通に行われていたことらしいんです。

 板張りも伸子張りも、まるで歴史上の技術のように思われそうだが、昭和二十年代あたりまではどこの家でもごく普通の家事で、私は、母や姉がやっていたのを覚えているばかりか、竹ひごの両端に細い鉄の針が植えてあったその当時の伸子の形まで、ありありと記憶に残っている。着物をよく着る家ではかなり後までやっていたから、五十代ぐらい、場合によっては四十代の人でも経験者がおられるはずだ。

なんとも江戸時代、いや今より五十年くらい前の日本は、実に丁寧な面倒くさいことをしていたものだとびっくりします。

ひるがえって、現代を見れば何事も機械任せ、洗濯なんかぽんぽん投げ入れあっというまに洗濯完了!

しかし、それで浮いた時間はどんな貴重なことに使われているんでしょうか?

う~~~ん、貴重なことってもしかしたら面倒くさい作業そのものなのでは?

江戸時代を見直すことは、そんな反省やら気づきの機会を私たちに与えてくれます。

by NOBO

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