伊丹万作「顔の美について」
伊丹十三の父上で映画監督であった伊丹万作の随筆を青空文庫でふらっと立ち読みしました。視点も口調も父子そっくりですな〜。
近ごろばかな人間が手術をして一重まぶたから二重まぶたに転向する例があるが、もつたいない話である。
それも本当に美しくなれるならまだしもであるが、手術後の結果を見るとたいがい徹宵泣きあかしたあとのような眼になつてしかも本人は得意でいるから驚く。
いつたい医者という商売はどういう商売であるか。
自分の商売の本質をよく考えてみたらこんな畠ちがいの方面にまで手を出せるわけのものではあるまい。
人生の美に関する問題はすべて美術家の領分である。
その美術家といえども神の造つた肉体に手を加えるなどという僭越は許されない。
仕事の本質がいささかも、美に関係なく、したがつて美が何だか知りもしない医者が愚かなる若者をだまして醜い顔をこしらえあげ、しかも金を取つているのである。
生れたままの顔というものはどんなに醜くても醜いなりの調和がある。
医者の手にかかつた顔というものは、無惨や、これはもうこの世のものではない。
もし世の中に美容術というものがあるとすれば、それは精神的教養以外にはないであろう。
顔面に宿る教養の美くらい不可思議なものはない。
精神的教養は形のないものである。
したがつて目に見える道理がない。
しかしそれが顔に宿つた瞬間にそれは一つの造形的な美として吾人の心に触れてくるのである。
また精神的教養は人間の声音をさえ変える。
我々は隣室で話す未知の人の声を聞いてほぼどの程度の教養の人かを察することができる。・・・
まさに。。。
読書こそ最良の美容法ということでしょうかね。
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