モスラ生みの親
「ゴジラー1.0」を観てきました。なかなかの出来です!
今は亡きわが父母が生きた時代を体験させられたようで、感無量でした。
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さて、私ぐらいの年代なら誰でも、ザ・ピーナッツがモスラを呼ぶあの歌を覚えていることでしょう。「モスラ〜よ、モスラ〜よ♪」
デジタルCGなどまだない昭和の映画界、日本の怪獣映画は円谷英二特技監督のもと世界最先端、超弩級の迫力でした。
ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラ・・・
ゴジラは水爆実験による放射能によって生まれ、モスラは放射能に汚染された南の島の守護神でした。
日本を壊滅的に破壊したこれら怪獣の物語は、3.11の大災害、特に原発事故と大きく重なります。
単なる子供だましではない社会性を強く持った映画でした。
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同じ怪獣といっても、そのキャラクターには違いがありました。
ゴジラは威厳と凶暴、モスラは忍従と怒り、キングギドラは絶対悪。
モスラはナウシカの「王蟲(おーむ)」とイメージが重なります。
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制作後60年以上たっても、私たち親父の誰もがそのイメージを強く心に残しています。
特にモスラには涙さえ出てきます。
映画のすばらしさはもちろんですが、原作の質の高さもその理由の一つでしょう。
先日「さもありなむ」と思わせることを読書の寄り道で知りました。
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今、福永武彦という作家の小説を読んでいます。
『ゴーギャンの世界』に触発され、『風土』を読み終わったところです。
昔の作家の重厚さ、密度の濃さ、質の高さには圧倒されるばかりで、わが身が実に情けなくなります。
彼の人生やいかに?と電子辞書やらネットやらで調べているうちに思いもかけぬ情報と出会いました。
なんと!彼はモスラの生みの親だったのです。
正確に言うと、福永武彦、中村真一郎、堀田善衛という日本文壇珠玉の知性三名の合作だったのです。
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この三名は、文学好きの方なら名前だけは知っているはずです。
ただし、あまりに高尚なので本を読んだことがある人はきっと少ないことでしょう。
実はこの私も、彼らの随想的なものは何篇か読みましたが、敷居が高くて本格的な著書は読んだことがなかったのです。
この方たちがいったい、どうして?
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人つながりで大文学者三名の共作となったようですが、原作者たちの原水爆に対する強い憤りと、多少の遊び心もあったことでしょう。
プロデューサーの田中友幸によると、本作の企画原案は、制作の半年ほど前に森岩雄から「怪獣が暴れまわる映画も結構だけど、女性も観られる怪獣映画というのはどうだろう、すごく可愛らしい美人を出すんだよ」と持ちかけられたのがきっかけという。
ここから「小美人」の設定が生まれ、田中は文芸員だった椎野英之のつてで中村真一郎を紹介され、中村と福永武彦、堀田善衛の三者に原作を依頼。
こうして公開に先駆けて週刊朝日で『発光妖精とモスラ』が掲載された。
田中は本作を『ゴジラ』、『空の大怪獣ラドン』と並んで「出来のいい怪獣映画」と自負している
→wikipedia「モスラ」
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それとあくまでも推定ですが、私はこの頃の時代状況に対して彼らなりの反骨を込めたのでないかと思っています。
60年安保闘争の翌年の作品で、当初世界同時公開が予定されていたこともあり、ロリシカ(ロシア+アメリカのアナグラム。原作では「ロシリカ」)として描かれた米国との関係や、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復したはずであるにもかかわらず、外国人の犯罪捜査や出入国管理が相変わらず在日米軍主導で行なわれていること、モスラがわざわざ横田基地を通ることなど、当時の日本の政治状況を反映した描写が目立つ。また、当時の宣材パンフレットには、フェミニズムや先住民問題がテーマとして掲げられている。
当時の「天声人語」では、このような紹介がされたそうです。
怪獣映画の祖『ゴジラ』は、核の恐怖がモチーフだった。米の水爆実験で日本漁船が被曝した年である。
以来、モスラが銀幕を舞う前の7年間に、原子力の平和利用が喧伝された。
…福島への原発誘致が決まったのは、まさにモスラの年である。
1961年モスラ誕生の年からちょうど50年後の3.11。
放射能に汚染された島の守護神であったモスラが、私たち文明人の傲慢横暴に怒り日本を破壊したように、津波と放射能の大惨事が現実のものとなりました。。。
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ちなみに共同原作者の堀田善衛と宮崎駿さんにはこのようなエピソードもありました。
モスラと王蟲(おーむ)はこの辺にも関係があるのでは?
宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けていることを常々公言、堀田と幾度も対談している。たとえば宮崎の作品によく出てくるゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来している(『宮崎アニメの暗号』青井汎 新潮新書)宮崎は堀田の『方丈記私記』のアニメ化を長年に渡って構想していた。また、2008年、宮崎吾朗他のスタジオ・ジブリスタッフにより、『方丈記私記』等の堀田作品をアニメ化するという仮定のもとのイメージ・ボードが制作され、神奈川近代文学館に展示された。
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福永武彦の小説からあっちこっちへ飛び、怪獣映画に行きつくとは思いもしませんでした。
彼の年譜をあれこれ調べていると、モスラ以外にも興味深いことがいろいろと解ってきます
息子さんが「池澤夏樹」さんである(あった)こと、福永武彦が大学卒業の年(最初の就職時)に生まれたこと、早くに離婚したこと、池澤夏樹は高校時代まで福永を父とは知らなかったことなど・・・
それらの時期を重ね合わせて著書「風土」を読むと、まるで息子の生い立ちを意識したような細かい設定に気づいていきます。(息子は父を知らず小説の主人公は母を知らないことや、息子の生地北海道帯広市と主人公の生地東北の寂莫とした漁村の類似など)
こういう寄り道こそ読書の愉しみですね。
Category: キラっと輝くものやこと, 思いがけないこと