ミミズもダーウィンも偉大なり
「進化論」のダーウィンがライフワークとしたのが「ミミズの研究」であったことを今さら知りました。
なんと44年間も研究し続けたとは!
『種の起源』は、ビーグル号の航海から帰って(1837年)から22年後に出版されました。
これほど長い間ダーウィン一人で温め続けてきた理由は、緻密な論証をするためと、キリスト教の価値観に反するゆえの躊躇でした。
ところがダーウィンには、『種の起源』よりももっと長い月日を経て出版された本がありました。
それが『ミミズと土(邦訳)』です。
(原題:『ミミズの行為によって肥沃な土壌がつくられること、そしてミミズの習性の観察』)
その研究は、彼がビーグル号の航海から帰った年から始まりました。
そして出版されたのはそれから44年後、ダーウィンが亡くなる前年でした。
(この話は、佐々木正人著『アフォーダンス入門』という本で知りました。孫引きになりますが、以降この本から引用させていただきます。)
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ミミズは気味の悪い単なる釣りの餌なんかじゃありませんでした。
私たちの大地を耕し続けてくれている、地球になくてはならぬ偉大な生き物なのでした。
土はいかにつくられるか
一八三七年。ピーグル号の旅行から帰ったダーウィンにおもしろい誘いがあった。
ちょうど十年前の一八二七年に石灰が厚くまかれ、その後、一度も耕されたことのない土地がある。
いまそこに行ってみても、どこにも石灰の白い跡がまったくない。
火山の噴火も洪水も、地面を土でおおってしまうような出来事はこの付近では起こらなかった。
なのに大量の石灰はどこかに行ってしまった。
地面を掘って調べてみよう、という誘いであった。
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さっそく地面に四角い穴を掘った。
土の断面を見ると、地表から約二センチまでのところには、芝生の根の層があった。
そして、その下、地表から約七センチの深さのところに、あった!
石灰の白い層がくつきりと残されていた。
それは厚さからして十年前に地上にまいたあの石灰にまちがいなかった。
石灰とその上にはえた根との間に何があるのかをよく調べてみた。
約五センチの幅でみずみずしい黒く肥えた土が密集していた。
その土は石灰の層の下にある石ころや粗い砂でできた土の層とは一目で区別できる肥沃な土だった。
肥えた黒土をよく見てみると、それはよく地面にかたまりになっているミミズの糞そのものだった。
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そこでダーウィンはいろいろな文献にもあたった上で、この変化は地表の石灰の上に、ミミズが糞をして、それが十年間で堆積してできたものにまちがいないと考えた。
肥えた表土はミミズがつくったものだ。
ミミズは十年間で五センチ、つまり一年間だと約〇・五センチの肥沃土を糞として表面に堆積したのだ。
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まだ二八歳の若きダーウィンはこの発見をまとめて「ロンドン地質学会」で「土壌の形成について」という短い論文を発表した。
牧場の表面に厚くまかれた灰や燃え殻が、数年たつと地面の下の数センチのところに層をなして埋もれている。
大地の表面にあるすべてのものは、徐々に地中に埋まっている。
このような大地の表面の変化が起こるのはミミズのせいだ。
ミミズは土の中の微生物を食べ消化した残りを糞として、すんでいる穴の外にはこびだす。
それが積もりそして広がって地表にあるものをおおう。
地表はミミズのつくつた肥沃土でおおわれている、ということを主張する内容の論文だった。
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ふつうの学者ならここで研究をいったん完了させることでしょう。
ところがダーウィンは、とてつもなく根気強い学者でした。
なんと自分の敷地内で再現実験を行うことにしたのです。
自分の存命中に終わることさえ危ぶまれる研究に、なんの躊躇もなく挑んだのです。
ミミズは大地をかきまわしている
一八三七年の最初の観察から五年後。
一八四二年一二月十日。
三三歳のダーウィンは家の近くの牧草地にこんどは自分の手で大量の石灰の粉をまいた。
二九年間待った。
一八七一年の二月の終わり、六二歳のときに、石灰をまいたところを横切るように一本の溝を掘ってみた。
地面にまいた石灰の層は地下一八センチのところに、白い一本の線となってそのままあった。
一年で約〇・六センチ「沈んだ」ことになる。
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ふつうどの石の下にもミミズがたくさん生きている。
ミミズは糞を石の周囲に出す。
だから石の沈む速度を測ると、ミミズの地表をつくる働きがよくわかる。
ダーウィンは家の近くの草原の厚さ約二五センチの石がどれくらいの速度で土の中に沈んでいくのかを測りつづけた。
三五年間でその石は約三・八センチ沈んだ。
ダーウィンは、もしこの速度で石が埋もれつづけていけば、この石の姿ははぼ二四七年後に地表から見えなくなるはずだと計算した。
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ミミズもダーウィンもなんという根気でしょう。。。
ミミズの土作りは、太古から現在に至るまで、たゆまずに行われ続けています。
そしてダーウィンの「進化論」も、発表の時から現在に至るまで、たゆまずに諸学を導き続けています。
どちらも甲乙付けがたい偉大な存在ですね~。
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さらにダーウィンはミミズの「穴ふさぎ行動」(糞を出した穴を葉っぱを引き入れて塞ぐ習性)について観察と実験を続けました。
多くの場合、ミミズは葉の先端部分を選択的に引き入れていたのですが、環境によってその行動は柔軟多様に変化していました。
の実験の結果、ダーウィンは驚くべきことを結論づけることになりました。
ミミズには知能がある
反射、概念にしたがう行為、試行錯誤。
一九世紀においてもすでに、行為についてはこれら三種の説明が代表的であった。
その事情は残念ながら現在においてもほとんど変わっていない。
だいたいこの三つの説明を使い分け、組み合わせてきたのが、行為の理論の歴史である。
素人から専門家といわれる人まで多くの人がこれらの枠組みで行為について話し合っている。
ダーウィンは、これらの常識がかならずしも動物の行為の本当を言いあてていないことを知った。
そして彼は「たった一つの代案だけが残る。すなわちミミズは体制こそは下等であるけれども、ある程度の知能をもっている」と結論した。
動物の行為の柔軟性は人間が考えだした説明の枠組みを越えていた。
ダーウィンはそのすごさを知って、偏見なしにそれを「知能」とよばざるを得ないと考えた。
彼は眼で見ること、つまり観察が人間が考えだす説明の枠をいつも越えてしまうことをよく知っていたが、ミミズの観察でも、眼は常識を越えてしまった。
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なにをもって「知能」と言うのか、著者の佐々木正人氏はこのように説明しています。
身の回りに意味を発見する
ダーウィンは「知能」とい言葉でミミズの行為に見たことをあらわした。
彼の見たことは、ミミズの行為がとことん柔軟で多様であること、しかし柔軟でかつ多様でありながら、環境にあって行為が使えること、つまり今ミミズがふさごうとしている穴にふさわしい物をまわりからしっかり見つけ出している、ということである。
この二つ、限りない柔軟性・多様性と、環境にあって、今進行中の行為に利用できそうなことを偶然にではなく、ちゃんと見つけだすということは、たしかに「知的だ」と言われている人間の行為の特徴でもある。
たとえば山小屋で予想以上の寒気に出会った時、小屋が古くてあちこちに穴があいていたら、ぼくらも持っている衣類や紙類などで、あるいは周辺にある思いもかけない物で穴ふさぎをするだろう。
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この話を引用した佐々木正人著『アフォーダンス入門』は、ダーウィンを導師としながら、ギブソンの開拓した「アフォーダンス」という新しい「生態心理学」についてやさしく解説しくれます。
私は「アフォーダンス」という耳慣れない言葉にひかれてこの本を買ったのでした。
「知性はどこに生まれるか」がそのテーマです。
アフォーダンスとは「環境が動物に提供するもの」、身の周りに潜む「意味」であり行為の「資源」となるものということらしいです。
この説明ではかえってわからなくなってしましまいます。
しかし、本書で(下等な?)生き物や植物の習性を人間の行為と比較し説明されていくと、なんとなくわかったような気がしてきます。
「行為の生まれ方は人もミミズも同じなんだ!」と。
まだ読み終えていませんが、これから読み進めるにつれ、まったく新しい視点を得られる気がしてとてもワクワクしています。
(注)affordance:与える、提供する
by ノボ村長
Category: いきいき農園, キラっと輝くものやこと, 伝えたいこと, 思いがけないこと, 新しい農業