ノボ辞典「能力」「性能」
ビアスの『悪魔の辞典』みたいな『ノボ辞典』をつくろうかと思いたちました。さて、今後「何語」できるものやら。まずは挑戦です。
これから時々、ランダムに思いついたまま編集していきま~す。
まずはじめは『能力』と『性能』でいきましょうか。
ノボ辞典より
ability【能力】名
相対的に性能の低い人間が、何とかして自尊心を維持しようと努力し、身につけた技や考え方。
その技の特徴は「相対的比較」が困難なこと。
たとえば「アート」。個性が重視されるので相対評価はできない。
その考え方の特徴は「独創」である。
なぜなら、先人の考えたことや、すでにあるものを、覚えたり速く行うことがとても不得意なため、何ごとも自分で考え出した方が速いからである。
さらなる特徴は「ふんどし使いの名人」であること。
自分の相対的性能が低いことをカバーするために、性能の高い人を使うことがとても上手になる。
この結果、副次的な作用が生じる場合が多い。
良い作用は「人の気持ちを理解する能力」つまり「共感性」が豊かになること。
悪い作用は「人を使う権力的喜び」にひたり、自己過信に陥ること。
良い例が「ジェダイ」、悪い例が「ダース・ベーダー」である。
ノボ辞典より
performance【性能】名
「能力」と同義で使われることが多いが誤用である。
遺伝的要素と栄養と環境にめぐまれ、エスカレーターに乗ることが当たり前と思って育った、いわゆる「頭の良い人」が共通にもつ、効率的な頭脳の働き具合をいう。
この働きが高い人は、すでにあること、誰かが考え出したことを素早く確実に記憶し、一定範囲まで応用できる先天的な頭脳の働きが強い。
「性能」が高い人は、何かをなそうと考えている他人にとって、とても重宝な道具になるので、「人に使われる価値」が高いともいえる。
彼らを、機能的に「コンピューター」に近い存在と考える人もいる。
世の親は、これを「能力」と誤解しているために、「想像力」や「創造力」よりも「記憶力」や「計算能力」だけを重視する傾向がある。
性能の高い人はほとんど一流大学から一流企業、官僚を目指すが、もともとできあがっている大企業では余分である。
性能高き人々だけが増えると、「創造」が不足し、社会は停滞する傾向がある。
現在、一流企業とよべる企業が急速に減少している中、社会的に「性能高き人」よりも「能力高き人」がより求められている。
参考までにビアスの『悪魔の辞典』から引用します。(筒井康隆訳がわかりやすいのでそちらで)
『悪魔の辞典』より
ABILITY【能力】名
有能な人間が、何とかして無能な人間から区別してほしいと願い、そのけちな野心がほんの少し満足できる程度に、生まれつき身に備わっているもの。最新の分析結果によれば、能力は高濃度の糞真面目さに依存していると判明している。この糞真面目という印象的な特質は、やはり世間からは能力として、まあまあ正当に評価され、報われていると言えるのかも知れない。糞真面目にしているのも結構至難の技であるからだ。誰のことを言っているのか、おわかりかな。
ノボ
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