喜びがあってこそ人は学ぶ
ゲーテの自伝『詩と真実』には彼の生の感情、生の声があふれています。戸惑い、焦燥、情熱、私たちと等身大のゲーテが、彼の生きた時代とともに、今ここにいるような思いをさせられます。
『詩と真実』は全四巻もありますが、私にとっては道中愉しき長丁場です。
今、その二巻目、彼がライプツィヒ大学に入学したての頃を読んでいます。(このとき十六歳でした)
大学に入学する少し前、彼は絶望的な状況にありました。
年上のグレートヒェンへの初恋と失恋、犯罪の濡れ衣、健康の喪失。。。
なんとか立ち直ったゲーテは大学へと進みます。
しかし、本当はゲッチンゲン大学に行き文学を志したかったのに、父の意向でライプツィヒ大学へ入り法学を学ぶことになりました。
さらに悲劇的なことに、せっかく入学したのにゲーテの担当教授は「詩」を軽蔑する人でした。
詩を愛するゲーテはとまどい、後年、この本に次のように記しました。
岩波文庫『詩と真実』第二巻p79
年輩の人が真に教育的に振舞おうとするならば、どんな種類のものにせよ青年に喜びをあたえるものを、同時にそれのかわりとなり補ないとなるものを提供することができないかぎり、拒んだり、嫌いにならせたりしてはならない。
誰も彼も私の好きなもの、愛着をもっているものに反対した。
そして、彼らがそのかわりとして私にすすめてくれたものは、私にはまるで縁のないもので、その長所を見抜くことができないか、あるいは私に近しすぎて、それが非難されたものより優れているとはまったく思えなかった。
そのため私はすっかり混乱してしまった。
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自分にとっても耳の痛いことですので、書き留めておくことにしました。
若者が夢中になっているのが、軽薄陳腐と思われることでも、頭ごなしに否定すべきではない。
もっと大切なことへ誘うには、彼らが喜びや関心を持てるような工夫をしなければいけない。
そうしないと彼らは食わず嫌いとなり、大切なことと出逢うチャンスを失わせてしまうことになる。
ゲーテに教わると、実は当たり前のことでも、心の底から「なるほど」と思ってしまいます。 ゲーテ自身が語った言葉はまさに本当です。
「人はただ自分の愛する人からだけ学ぶものだ。」(『ゲーテとの対話』上巻p243)
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