エンドレスの学芸会
小学校の学芸会で生徒の自主性を尊重してくれた先生は偉いな~と思います。
でも、その自主性に私がついて行けなかった。。。そんな痛い思い出です。
「自主」とか「自由」は理想に思えますが「行うは難(かた)し」の代表選手かもしれません。
『自由からの逃走』(エーリヒ・フロム著)という社会学の本が高校の図書館にあり、拾い読みした覚えがあります。
ナチズムに傾倒していったドイツを考察したことから生み出された論考です。
至高の価値である「自由」を手にいれても、国民の多くはその「自由」に耐えられない。
つまり何をしたらいいのか自分頭で考えられない、考えるのがつらい。
それゆえ人は政治的カリスマを再び求めるようになる、という分析をした本です。
とっても卑近な例で恐縮ですが、小学生の頃のあの学芸会もそうだったな~なんて思い出したんです。
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(昭和40年の学芸会:引用元はこちら)
ノボ・アーカイブス
大変な学芸会
担任の次男先生はアイデアマンだった。
生徒の自主性を尊重しようと、その年の学芸会に出す六年生の劇は、生徒たちにいっさいを任せようと考えた。
「川嶋君、君がしきってくれ」と言われた。
先生が選んだ劇の脚本3本のなかから好きなものをみんなで選び、生徒たちだけで練習しなさいということだった。
今となっては何の劇を選んだのか忘れてしまった。
他のクラスの出演者と一緒に図書館でセリフの練習をしたことは覚えている。
選んだ作品がまずかった。
セリフがやたら長かったのだ。。。
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この頃の学芸会は運動会と同じだった。
一族総出、じいさま、ばあさまなんかも稲荷や海苔巻きをつくって見に来たものだ。
特に、劇の主役とか一人で芸を披露する子の家からはやはりおおぜい来たものだ。
まるでどさ廻りの田舎芝居でも観るように。
観客席では、自分たちの場所に早々とゴザをひく家族もいたものだった。
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いよいよ学芸会の当日が来た。
この年の学芸会では三つ大変なことが起こった。
ひとつめは「スモーク事件」だ。
4年生の出し物だったかな?
凝り過ぎなのか、煙が好きなのか、舞台にスモークをながす予定だった。(担任の佐藤先生はヘビースモーカーだった)
スモークに使ったのがなんと「発煙筒」だった。
舞台にスモークは流れたが、同時に講堂(今でいう体育館)全体が煙に包まれ、「せき」やら「涙」やら一時全員避難となったのだ。
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ふたつめは「エンドレス事件」だ。
これは私が主役の自主的練習の劇で起こった。
自主性と私たちの能力を買ってくれたのはさすが次男先生ではあるが、残念ながら私がついていけなかった。
本番で劇が終わらなくなってしまったのだ。
なぜかというと、私のセリフがある場面までくると「エンドレステープ」のようにある地点まで戻り、それに合わせて皆のセリフもまたエンドレスになってしまったのだ。
この劇はみっつめの事件でようやく幕が閉じられることになった。
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みっつめの事件とは「地蔵様事件」だ。
私が出た劇には「地蔵」の役がいた。
赤い布を首に巻き、地蔵様の格好で目をつぶり、右手のひらを外に向けて胸に上げ、左手はお椀のように「へそ」の位置におく。
そのままの格好で、劇が終わるまでじっと、微動だにせず立っているのだ。
ところが劇がいつまで経っても終わらない・・・。
どうなったかって?
地蔵様が気絶して倒れたのだ!
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これでようやく劇が終わった。
ある意味みんなホッとした。
先生たちや観客はなおさらだったろう。
生徒を信じて任せてくれた次男先生はといえば、私は劇の途中、先生が講堂からそっと出て行くのを舞台から見た。
いたたまれなかったのだろう。。。
でも、先生たちも私たちも一緒に失敗できたあの頃はとても生き生きしていたな~。
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