「世界史としての日本史」一気読み
『世界史としての日本史』(小学館新書)を一気に読み終えました!
実にしっかりした資料や知識にもとづく世界史的観点、明晰な分析、興味深いエピソードの数々。何より、とっても読みやすい!「自虐史観」の方も「自尊史観」の方も、この本を読んでから意見を述べたほうがよさそうですよ。
『昭和史』の著者である半藤一利さんと、ライフネット生命保険を起業(現会長)した出口治明さんの対談です。
読みやすいのは文藝春秋の編集者(後に専務)であった半藤さん、根っからのビジネスマンである出口さんという生粋の学者ではない方(その知識と見識は学者以上と言えますが)による対談ゆえかもしれません。
「真の教養」というものの大切さ、それを失いつつある私(たち)について、あらためて考えさせられました。
表紙の内扉にはこう書かれています
「日本は特別な国」という思い込みを捨てろ!
近年メディアを席巻する「日本特殊論」。
しかし世界史の中に日本史を位置づければ、
国家成立時から現代に至るまでの、
日本と、日本人の本当の姿が浮かび上がる
一部内容を紹介します。
自尊史観と自虐史観は表裏一体
出口 ところが、現在また日本特殊論をメディアで目にする機会が増えているのですが、これは、明治の時代とは構造がまったく違っていると思います。日本に長く住んでいる外国人の方から聞いた話なのですが、「『自分の母国はこんなにひどいけれど、日本はこんなに素晴らしい』という本を書けば、軽く100万円は稼げる」とか「どこの出版社も飛びついてくる」という冗談がはやっているそうです(笑い)。部分的には事実なのでしょうね。
半藤 事実でしょうね。それにしても情けなくなりますね。
出口 これは戦後日本のアイデンティティが失われたからだと思うのです。日本は第二次世界大戦でアメリカに大敗して富国強兵路線が行き詰まり、吉田茂は強兵を捨てて富国一本に絞り、それが1980年代に実現しました。一人当たりのGDPでアメリカを追い抜き、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれ、東京の地価でアメリカ全土が買えるとまでいわれていた。あのとき、買っておけば良かったですね(笑い)。
半藤 バブルの時代ですよね。1980年代かな、日本中が浮かれていました。
出口 バブルが起きて、財界人のなかには「日本は政治は三流だが、経済は一流だ」と言った人もいました。当時の日本人のアイデンティティは、「経済で世界一」だった。ところが、GDPで中国に抜かれてしまった。自分たちが自信をもっていた分野で負けた人が取る態度は一般には二つあるといわれています。一つは酸っぱいブドウ症候群です。イソップ童話に出てくる話で、キツネがジャンプしても取れないブドウがあり、キツネは「あれは、酸っぱいブドウだから取っても仕方がない」と。
半藤 手が届かなくなったら、あんなものに意味はないんだと自分で自分を納得させるわけですね。
出口 GDPではもう勝てないから、GDPに意味はない、それよりも先進国なのだから国民幸福度指数が大事で、心の豊かさを求めるべきなのだと。これは逃避しているだけではないでしょうか。もう一つの態度は、外に攻撃対象を見つけること。本来、愛国心というのは防衛的なもので、たとえば、僕は三重県の美杉村の生まれで、雲出川のほとりに住んでいたのですが、この川はとてもきれいな川で、今でも帰ると、川がきれいなままでよかったと思うのです。こういった生まれた国や地域が昔のままであってほしい、守りたいとする防衛的な気持ちが、本来の愛郷心とか愛国心というものだと思います。ところが、この愛国心が劣等感と結びつくと、攻撃的、排他主義的なナショナリズムに変貌する。「ナショナリズムとは、劣等感と不義の関係を結んだ祖国愛である」という連合王国の外交官の名言がありますが、中国や韓国はこんなにひどいと攻撃し、一方で日本はこんなに素晴らしいと褒め称えるのは、まさにこれだと思います。この二つが社会現象的に生まれたということで、明治時代とはまったく違う文脈だと思います。
半藤 これは私の「四十年史観」という見方なんですけどね。日露戦争の勝利から1945年8月15日の敗戦までが、おおよそ40年なんです。それから、GHQの占領が終わった1952年から、強兵を捨てて富国だけを追い求めジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、バブルが崩壊するまでの大国日本の時代までがまた40年。最初の40年は軍事大国でいい気になってガチンとやられて、次の40年は経済大国でまたいい気になってやられて、2回ボロ負けして、凹んでいるのが今の日本なんだと思う。今「日本は素晴らしい」と言っているのは、2回も負けたという劣等感を払拭するための単なる防御反応ではないでしょうか。「劣等感と不義の関係を結んだ」ことそのままのように思えますね。
出口 劣等感がベースにあるという点は共通していますね。戦後の日本特殊論は、「日本はここがおかしい」「世界に遅れている」などと、はやりの言葉を使えば、自虐的に語るものが多かったのですが、今は逆で、「日本の技術はこんなにすごい」とか、「日本の歴史は素晴らしい」とか、自尊の方向に向かうものが多くなりました。これを自虐史観との対比で、自尊史観と呼ぶとすれば、自尊史観は自虐史観の裏返しにすぎないと思います。
半藤 なるほど、自虐史観が裏返っただけで、同根であると。通底していると。
出口 ええ。歴史学者の本郷和人さんが、『文藝春秋』の2015年4月号に寄稿された「誰も古典を知らない」で、確か次のようなことをおっしゃっていました。最近の若い人たちと話をすると、愛国心が大事だとか、日本の伝統を守らないといけないとか頼もしいことを言う。なるほど、その通りだ。伝統を体得するには古典に親しむことが重要だから、「あなたは 『源氏物語』を読んだことがあるか。『源氏』は難しい?それはもっともだ。ならば簡単な『吾妻鏡』でも構わない。愛国を言うなら、北畠親房の『神皇正統記』や本居宣長の著作はどうか」と試しに聞くと、どれも読んでいない。古典も読まずに、伝統だの愛国心だのを声高に叫んでいて、困ったものだ、と嘆いておられますが、まったくその通りだと思います。「左翼は自虐史観で日本はけしからんと言っている」から、それを裏返した自尊史観で「日本の伝統は素晴らしい」と言っているだけで、表と裏の現象だと思います。自虐史観の論者が、「日本がやったことはすべて悪い、中国や韓国の主張はすべて正しい」としてきたのを、単に裏返しにしただけではないでしょうか。
半藤 どちらも不勉強で、自分の国の歴史も知らず、世界史の視点で見ずに「日本は特殊だ」と言っているだけで、どっちもどっちで、表裏一体なんですね。やはり軍事大国で負け、経済大国でまた負けたと、2回敗北していることが、日本人の心に影を落としていると思いますね。それで攻撃的なナショナリズムに魅かれていく。終戦当時を知る人は減ってきていますが、敗戦国家になったというのは、正直言えば、子供ながら、日本の歴史が始まって以来の大事件、不祥事だと思っていましたからね。当時の大人たちの間には、とんでもないことをしでかしたという思いがあったと思います。その結果なんでしょうが、戦後に出てきた左翼の人たちが書いたものを大学に入ってから読んだら、ちょっとこれは書きすぎじやないのかと思うような、いささか極論ともいえる自虐史観でしたよ。しかも、それがジャーナリズムを席巻しましたからね。
出口 その振り子が今は反対側に振れているのですね。
半藤 しかし、外国を貶めないと、日本は素晴らしいんだと胸を張って言えないのがいささか情けなさすぎますよ。
出口 そうですね。外国人の皆さんも、これで商売になるならいいかと思って、自国と比較して日本を褒め称えているだけでしょうね。どんな国でも、長所はたくさんあり、短所もたくさんあるので、片方の短所を引き合いに出して、もう片方の長所を褒めるのは簡単なことで、どこの国でもできるんです。だけど、そういった話のほとんどは、必ずしも数字やファクトに裏付けされていなくて、単に「私はそう思う」と言っているにすぎないと思います。
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出口さんはビジネス界のTOPとも言える方のようですが、世界史研究のオーソリティーでもあるようです。
京都大学での講義をもとにした『「全世界史」講義 上下』は、独自の「五千年史観」で書かれており今ベストセラーらしいです。
私も買ってパラパラめくってみましたが、一節が半ページや1ページくらいづつなので、とても読みやすそうです。
明日から読むのが楽しみです。
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