働かないアリに意義がある

[ 0 ] 2012/08/23

究極の効率社会と思っていたアリの世界。ところがその7割は休んでいて、1割は一生働かないというんです!さらに読んでいくと、逆にそれがもっとも効率のよい社会だというんです。

f:id:kawasimanobuo:20111220171116j:image:medium:left 『働かないアリに意義がある』という本を読みました。

タイトルがよくある「経済ノウハウ本」みたいですが、中身は実に学問的で豊かな内容でした。

私は高校時代生物部で「ミツバチ」の研究をしていました。そのせいでしょうか、ハチとかアリとか「高度な社会生活」を営む昆虫の話はとても興味があります。

小難しい話はいっさい省略して(というかボロが出るので)、「へ~え!」と思った部分だけピックアップします。

興味のある方はぜひ本を買ってお読みください。

お馬鹿さんがいたほうが成功する

フェロモンの道を歩まず、間違って進むアリもいる。ところがその道が思わぬバイパスだったりすることも・・・。

 なんと、お利口な個体ばかりがいるより、ある程度バカな個体がいる方が組織としてはうまくいくということです。人間社会に当てはめてみると、例えば、飛び込みの営業は失敗する確率も高いが、新たな販路獲得に有効なこともある、といったところでしょうか。・・・

 ・・・冒険の全くない人生が味気ないように、効率ばかりを追い求める組織も、実は非効率であったりするのかもしれません。

みんなが疲れると社会が続かない

社会性昆虫は、過労による仕事の未処理を防ぐためのバックアップシステムを持っているようです。

 なぜそうなるのか? 働いていたものが疲労して動けなくなると、仕事が処理されずに残るため労働刺激が大きくなり、いままで「働けなかった」個体がいる、つまり反応閾値(いきち)が異なるシステムがある場合は、それらが働きだします。こうして、いつも誰かが働き続け、コロニーの中の労働力がゼロになることがありません。・・・

 ・・・つまり誰もが必ず疲れる以上、働かないものを常に含む非効率的なシステムでこそ、長期的な存続が可能になり、長い時間を通してみたらそういうシステムが選ばれていた、ということになります。働かない働きアリは、怠けてコロニーの効率をさげる存在ではなく、それがいないとコロニーが存続できない、きわめて重要な存在だといえるのです。

人の社会はアリの社会と逆行のようです。もしかしたらアリは私たちがたどろうとしている道をすでに卒業したのかも・・・。昆虫の発生は、ほ乳類とは比較にならないほど遠い遠い昔ですから。

 言い換えれば、規格外のメンバーをたくさん抱え込む効率の低いシステムをあえて採用していることになります。しかし、それこそがムシたちの用意した進化の答です。

 翻ってヒトの社会ではどうでしょうか。企業は能力の高い人間を求め、効率の良さを追求しています。勝ち組や負け組という言葉が定着し、みな勝ち組になろうと必死です。

 しかし、世の中にいる人間の平均的能力というものはいつの時代もあまり変わらないのではないでしょうか。それでも組織のために最大限の能力を出せ!と尻をたたかれ続けているわけです。昨今のグローバリズムの進行がその傾向に拍車をかけています。

何が役に立つかはわからない

著者の職場である大学にも「効率化」の弊害が増え始めているようです。

 余裕を失った組織がどのような結末に至るかは自明のことと思われます。大学という研究組織においても、近年は「役に立つ研究を!」というかけ声が高くなっていますし、私の研究など真っ先に事業仕分けされてしまいそうです。

 しかし、特定の目的に役立つ研究は本来、公立の研究機関(農業試験場など)がそのために設置されているのであり、大学の社会的役割の一つには、基礎的研究を実行し、技術に応用可能な新しい知識を見つけるというシードバンク(苗床)としての機能があったはずです。

先生は狂牛病の事件を例に出して、こう説明しています。

 プリオン自体はそれまで何の役に立つかわからないものだったので、ごく少数の基礎研究者がその研究を行っていたにすぎませんでした。

 ところが、ひとたび狂牛病が現れ、プリオンに関する応用研究が必要になったとき、その基礎研究者たちが見つけておいた知識がおおいに役立ちました。

 言い換えれば、何が「役に立つのか」は事態が生じてみるまでわからないことなのです。

したがって、いまはなんの役に立つかわからない様々なことを調べておくことは、人間社会全体のリスクヘッジの観点から見て意味のあることです。

困った優等生

優等生への憂いを、先生は終章でこう書いています。自分頭を放棄した科学者って「高性能競争ロボット」ですよね。それも無知のくせにプライドが高いぶんとっても危険な。

 大学の一教員である私は、かつて学生にある質問をされて「それはこういう意味だ」と説明しました。彼は納得して帰ったのに、後で「先生の言ったことは教科書に載っていません」と言ってきました。

 私はそのとき「君は自分の頭で納得したことより、教科書に書いてあるかどうかを正しいかどうかの基準にするのか?科学者は、正しいと思ったことは世界中のすべての人が「それは違う」と言ったとしても「こう言う理由であなた方の方が間違っている」と言わなければならない存在なのに?」と怒りました。

 多くの研究者は、教科書を読むときに「何が書いてあるかを理解すること」ばかりに熱心で、「そこには何が書かれていないか」を読み取ろうとはしません。

 学者の仕事は「まだ誰も知らない現象やその説明理論を見つけること」なのにです。優等生とは困ったものだと「変人」である私は思います。

科学は芸術と同じ

どちらも「驚き」と「感動」があり、そして「エレガント(美しい)」

 私はかつてパリに行ったとき、ある美術館でゴッホの生の絵を見たのですが、画集に印刷されていたものを見たときには感じなかった、驚くべき感情を味わいました。なんと絵から「波動」が出ていて、強烈なめまいがしました。

 盛られた油絵の具の凹凸が主にそのような効果をもたらすのだろうと気づきましたが、優れた芸術の持つ力を思い知らされました。

 良質の科学研究も同じように驚きと感動をもたらしてくれます。優れた検証法を用いた研究はしばしば「エレガント」と表現されますが、人間がその知恵ともてる技術を尽くして全く新たな科学原理を発見することは、誰も描いたことがない新たな表現様式を生み出すことと、なんら違いはないと思います。

昆虫の出現は約4億年前、類人猿の出現はたった7百万年前。昆虫の種類は100万種類で、人間を含む脊椎動物はたった4万種類。アリンコをなめちゃいかんですね。人間のやってる社会生活なんかとっくに経験済なのかもしれません。

 

投稿者:ノボ村長

Category: おもしろいこと, キラっと輝くものやこと, 大切なこと

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