エンデと地域通貨(5)

[ 4 ] 2010年12月27日

エンデが日本人に残した言葉

エンデは日本を愛していました。ヨーロッパと同じように伝統的な文化をもち先進工業国であるという共通点から、日本人は未来の課題を話し合えるパートナーであると考えていました。また、ドイツ以外でエンデの作品がこれだけ広く受け入れられた国もありませんでした。ですから、理解のための共通の土壌があるはずだと考えていたのです。そこで、エンデは日本への提案を持っていました。

エンデが日本に提案したかったこと

日本は経済大国であるからには、世界に貢献すべき義務があると唱え、地球環境を人類共通の問題にした「ローマ会議」のように、経済学者や企業家の英知を集めるべく「東京会議」を組織し、金融システムを根本から問い直すべきだと考えていました。国際貢献はお金をばらまくことではなく、世界から敬意をもたれるような知的事業をこそ実現すべきだと話していました。私たちは少しでもエンデの提案を後押ししたいと思いました。そこで、エンデとともにドキュメンタリー番組をつくり世に問いたいと考えました。その準備の第一歩がこのインタビューでした。エンデ家のいつもの場所で、ずっと取材のパートナーだった翻訳者の田村都志夫がテープを回しました。そして二時間のエンデの提言が未来に残されたのです。

(ノボ注:1994年NHK取材班が行いました。エンデの亡くなる1年前のことです。「エンデの遺言」はこのインタビューから生まれた本です。「エンデと地域通貨」はこの本から抜粋した内容を順不同で紹介しています。またエンデ夫人は日本人である佐藤真理子さんです)

 貨幣の歴史

「お金をテーマにしてシリーズ番組をつくることは十分考えられます。私は貨幣の歴史から始めることを提案します。貨幣はもともと金貨や銀貨のようにそのもの自体に価値がありました。そしてルネッサンス時代にベネチアで始まった近代的な意味での銀行をへて、紙幣の発明まで歴史は流れ、今日ではお金とは抽象的な大きさにすぎません。紙幣すらだんだんと姿を消し、今日動かされているのはコンピューターの単位、まったく抽象的な数字と言えるでしょう。しかし本格的な経済の問題は紙幣の発明とともに起こったと思います。紙幣には物的価値はなく、価値のシンボルなのです。紙幣の発明で問題が生じるのは、紙幣が好きなだけつくれるからで、金塊ならば好きなだけ増やすというわけにはいきません。金銀に不足した王様は、軍隊に給金が払えず、弱体化しました。周知のようにローマ帝国の滅亡もこのことが主な原因です。金はみんなペルシャに払われ、ペルシャ人は金持ちになりましたが、ローマ帝国はついに滅亡しました。しかし、紙幣の発明とともに事情は一変しました」

金との絆を断ち切られた紙幣の漂流

紙幣の価値は何によって担保されているのでしょうか。金本位制時代には、発行される紙幣は物質的な価値を持つ金との関連で保証されていたはずです。しかし、国際通貨のドルは1971年のニクソン・ドクトリンで金との絆を断ち切られ、ドルを保証する具体的なものは何もない時代に入ります。そのドルがグローバルスタンダードの名のもとに世界中の商取引の基準となっています。各国の通貨とドルが商品として取引されるマネーゲームの主役としてディーラーから注目されているのは、皆さん先刻ご承知のことです。経済学者ベルナール・リエターは、このような状態を「錨(いかり)を失ったドルが世界を漂流している」と的確に表現しています。

中国人が発明しマルコポーロが持ち帰った紙幣

「紙幣を発明したのはたしか中国人だと思います。マルコポーロだと記憶していますが、印刷された紙幣を中国からベネチア持ち帰り、その後徐々に銀行というものがそこから生まれました。この中国の紙幣は好きなだけ印刷できるものではなく、大きな判が押された一種の証文でした。しかし、中国人が印刷された紙幣を発明したのです。その後、紙幣は全く別な道をたどり銀行券となりました。この銀行券というのもとても興味深いもので、私は10人の法律家に手紙を書き、法律的見地から銀行券とは何かと尋ねました。それは『法的権利』なのか、国家がそれを保証するのか。もしそうなら『お金』は経済領域に属さず、法的単位ということになります。『法的権利』なら商いの対象にはできません。しかし、そうではなく経済領域に属するものなら、それは商品といえます。10人の法律家から10通りの返答が来ました。つまり、法的に見て、銀行券とは何なのかを私たちはまるで知らないわけです。定義は一度もされませんでした。私たちは、それが何か知らないものを、日夜使っていることになります。だからこそ『お金』は一人歩きするのです」

紙幣発行は何をもたらしたのか?

「紙幣発行が何をもたらしたのか? 一つの実例が、ビンズバンガーの著書に出ています。たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまでは良い生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの量を採っていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。どうしてそうなったかというと、ある日紙幣が導入されたからです。それといっしょに銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子付きで返すためだけでも、そうせざるをえまえんでした。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多く魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のためでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済、中でも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります」

二つの異なる種類のお金

「・・・・この経済システムは、それ自体が非倫理的です。私の考えでは、その原因は今日の貨幣、つまり好きなだけ増やすことができる紙幣がいまだに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にあります。これはとうの昔にそうでなくなっています。貨幣は一人歩きしているのです。重要なポイント  パン屋でパンを買う購入代金としてのお金と、株式取引所で扱われる資本としてのお金は、二つの異なる種類のお金であるという認識です。大規模資本としてのお金は、通常マネージャーが管理して最大の利潤を生むように投資されます。そうして資本は増え、成長します。 とくに先進国の資本はとどまることを知らぬかのように増えつづけ、そして世界の5分の4はますます貧しくなっていきます。 というのもこの成長は無から来るのではなく、どこかがその犠牲になっているからです。そこで、私が考えるのは、再度、貨幣を実際になされた労働や物的価値の等価代償として取り戻すためには、いまの貨幣システムの何を変えるべきなのか、ということです。これは人類がこの惑星上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いであると私は思っています」

(上記文章は、ノボ注以外すべて「エンデの遺言」からの抜粋です)

 エンデと地域通貨(6)

 投稿者:ノボ村長 エリア:独創研究所

Category: 大切みらい研究所, 村の地域通貨

Comments (4)

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  1. 斎藤雅春 より:

    メールありがとうございました。年末東京の娘の所に行っていて返信遅くなりました。忘年会は楽しかったですね。またやりましょう。小牛田セミナーのブログ見てくれてありがとうございました。ところで「エンデと地域通貨」これは面白い。特に交換した物それ自体の価値が消耗していったりなくなったりしていくのに、貨幣だけがそのままの価値で存在し続けていくというのはいかにも不可思議な話で、なるほど、これはいい勉強をさせて貰ったと思いました。貨幣はもともと物々交換の仲介をするだけのものだったはずなのに、貨幣そのものが商品になったり、貨幣だけが一人歩きしてしまったのですね。是非この連載はセミナーのブログにも紹介したいのですがいいでしょうか。この記事もですが、「独創研究所」のブログの存在をセミナーのブログで紹介させて貰いたいと思いますがいかがでしょうか。

  2. ノボ より:

    あけましておめでとうございます
    やっぱり親友!とてもうれしいです
    エンデとの出会いは私にとっても大変な衝撃でした
    ここから考え始めると、経済だけでなく人生そのものが今までと違った方向で構想できるような気がします
    これからもエンデ的発想をオブラートに包みながらいろんな話題にしてのせていきたいとおもっています
    リンクは待ってましたです
    こちらでも村の仲間たちで紹介させてください
    その際お薦めのコーナーを紹介してもらえませんか
    当方のリンク先は下記でお願いします
    https://dokusoumura.jp/
    私にとって独創村は現実に何かを行うシミュレーションの場所でもあります
    いっしょに実現できるようなことが見つかるかもと思うとワクワクしますね

  3. 斎藤雅春 より:

    後藤一蔵さんに言ったら、早速小牛田セミナーのブログにアップして貰いました。本日より5回連載で使わせていただきます。ありがとうございました。更に、一番下の エリア:https://dokusoumura.jp/> 独創研究所をクリックすると、「みんなの独創村」にすぐリンクできるように後藤さんがやってくれていました。私としては、5回連載の最終回に(全部を一日1回ずつ見て貰って)リンク先を載せようかなと考えていたのですが、後藤さんのはからいを知ったら、みみっちいことだと恥を知りました。さすが「えっつぉさん」でした。しかし、パソコンのパの字も知らなかった彼が、講演会等でパワーポイントなどを使う必要性が出てきてから、それこそ大変な努力をして勉強して、今やセミナーブログの管理者ですから頭が下がります。(ホームページそのものは、彼の知り合いに頼んで作ってもらったものですが)、(更に管理者を他の誰かに変わって貰いたいと騒いでいる状態ですが)、小牛田セミナーそのものが高齢化し、今年どうするかを話し合おうという危機的状況ですが、ブログはそれなりに、埋没されかねない小牛田町の個々人の声をあげる役割は果たしているのかなと確認し合っているところです。 どうぞ、小牛田セミナーのブログの方にもコメントなど寄せて下さい。とりあえず御礼まで。

  4. ノボ より:

    あけましておめでとうございます。さっそくアップしてもらい感謝感謝です。私はこの本からとても大きな影響を受けました。内容は、ほとんど本からの抜粋です。
    あまりに大事なことが書かれているので、よけいなことはとても書けません。その後「モモ」を読んでさらに目からウロコでした。会社経営などしていると経済価値以外の価値を見下してしまいがちです。その経済価値について根本的な問い直しをされると、結局仕事って何だろう、人生って何だろうということを深く考えさせられます。そして考え直しを始めたら、いろんなことがいろんなふうにできるんだと気づき、青春が戻ってきたような感じがしてきました。調子に乗って、いっちょ楽しくやろう!と「みんなの独創村」を始めました。なにか共創できたら素晴らしいですね。今後もよろしくおねがいします。なお、こちらでもコメントにいれさせていただきます。また近日中に「村の仲間たち」で紹介させてください。後藤一蔵先生がブログ管理されていると聞いてびっくりです!私も管理に苦労しているのでその大変さがよくわかります。それにしても「小牛田セミナー」の内容、編集・構成の質の高さに脱帽です・・

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