村こそ日本経済の立役者でした

[ 0 ] 2019年5月9日

世の中、「逆こそ真なり」であることが多いようです。

古臭い「村」が日本経済発展の原動力であったということを知りました。

明治維新以降、世界史的にもまれな経済発展をとげた日本です。

それがあらゆる面でよかったかどうかについては、様々な観点があると思います。

しかし明治初期に列強の植民地とされなかったのは、日本の経済発展がその背景となっていたことは疑い得ないでしょう。

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さて、日本の「家」やその延長である「村」というのは、非民主的・封建的で日本社会の遅れた部分の象徴と見なされてきました。

経済発展の足かせとみなされ、その排除や克服が近代化に必要と考えられてきました。

ところが実はその正反対だったようです。

アジアの中で特異的な経済発展を遂げられたのは、江戸時代以来の日本独自の「家」・「村」制度ゆえであったという話を読みました。

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(大原美術館 児島虎次郎「里の水車」)

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岩波講座『日本歴史』(全22巻)第16巻「近現代2」に「地主制の成立と農村社会」という章があります。(章の執筆者:坂根嘉弘氏)

そこを読んでいて「へ〜〜!」と思ったのです。

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明治維新の頃、日本を始め中国や東南アジア諸国はどこも「村」的規模の農村社会でありました。

それなのにどうして日本だけが経済発展できたのか?

それは、日本の「家」制度の特徴である「単独相続」にあったそうです。

驚くことに日本を除くアジアの国は、すべてと言ってよいほど「分割相続」だったそうです。

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長男だけが相続し、それ以外は食い扶持を自分で探さねばならない「単独相続」という「しきたり」。

現代の私たちから見ると理不尽で旧弊に思えます。

ところが「単独相続」ゆえにずばぬけて高い農業生産性を継続できたというのです。

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それは「単独相続」が、積極的な「長期的な投資」を促す要因になったからということです。

世代を超えた長期的な農業投資

家の形成は、日本農民が自らの長期的な人生設計や子々孫々の確実な未来を描くことを可能にした。

このことは、農民の増産やそれによる家産の増殖に対する大きな誘因となった。

日本の農民は、先代から受け継いだ農地が今日あるのは祖先の絶え間ない努力の成果であり、現在の努力が孫や曽孫の代に花開くと考えていたし、家産は少しぐらい無理をしてでも出来るだけ大きくして子孫に伝えていかなければならない、と考えていた。

「家」制度により世代を超えた長期的な農業投資が可能になるのであり、子孫のためには少々の労苦は何の躊躇もなく行われたのである。

すべては子孫の繁栄(「家」没落の回避)のための農業生産力の向上、家産増殖行動であった。

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さらに農業経営・技術の継承においてもメリットが大きかったと言います。

技術や経営知識の継承

農業経営の連続性にとっては、先代までに蓄積された動産・不動産や農業技術・人間関係などをすべてそのまま引き継ぐ単独相続のほうが合理的である。

加えて、技術や経営知識の継承にとっても、直系家族のもとで親世代から直接伝授されるほうが確実である。

上述の長期投資が可能になるという点も含めて、単独相続が農業経営の連続性にとって優れていたことは明らかである。

逆にいうと、世代交代ごとに農業経営の不連続・零細化、経営体の断絶が繰り返される分割相続地帯では、そのことが農業経営にとって大きな阻害要因であったことは間違いない。

近世以降の日本農業はこの点からも絶大なアドバンテージをもっていた。

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三つ目のメリットは「信頼関係」です。

信頼関係がコストを削減する

日本の「家」「村」社会の特筆すべき点は、村人間(地主小作間)の信頼関係が強く、村人がそれに基づいて協調行動をとる点にあった。

村人は、「家」「村」社会を維持するために、様々な「村」社会の慣行や規範に服することになり、協調的、自己抑制的に行動した。

このような「家」「村」社会でみられた行動様式は、経済取引の側面からみると、情報の非対称性ゆえに生じる取引コストを削減する効果を持ったとみることができる。

これが日本の農業生産、さらには日本経済の発展に有効にはたらいたのである。

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さて、地主と聞けば自らは額に汗しない大金持ちを想像しますが、実態は少々異なるようです。

地主にも規模的にさまざまあって、一番多かったのは、貸付地が一反や二反の零細地主だったそうです。

自作地主も多く、決して資本家対労働者という図式ではなかったようです。

もちろん社会情勢の変化につれて、地主制度自体に様々な問題や争議はあったわけです。

当時の中国、ベトナム、ビルマの農民運動は、地方政府や警察、軍が介入し多数の死傷者を出すものであったようです。

それでは日本はどうだったのでしょう。

穏健な農民運動

日本の小作争議の特徴は死者が出たこともなく、軍も動いたことはない。

日本の小作争議や農民運動は、統制がとれており、素朴で律儀で、規律的であった。

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以上、「家」「村」構造をベースとした日本農業はその特異性により農業生産性を高め、日本の近代化を進める原資を生み出しました。

いったいこのような「家」・「村」が生まれた原因とは何だったのでしょう?

農業発展のインセンティブ

さらに近年では、インセンティブ構造の視点からの説明が加えられている。

特に、検地により名請人(百姓)に土地所持が保証された点が重要である。

土地所有の農民への付与は、増産への強い誘因の基礎であった。

また検見法(けみほう:毎年の収穫高を調査し、それに応じて年貢量を変える)から定免法(じょうめんほう:作柄にかかわらず、数年間年貢量を一定とする)への移行により、農民の努力による限界的増収分は農民の手元に残ることになった。

加えるに、検地後は一部を除き再検地は行われなかったから、既耕地の増収分や切添開墾(小規模開墾)による増収分は農民に帰属することになり、農民の増産誘因をさらに掻きたてることになった。

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私はこの論文を読んで3.11の被災時を思い出しました。

3.11で(私たち)東北人は、大災害に際しても統制がとれており、素朴で律儀で、規律的でありました。

それは諸外国から感嘆され、これぞ我が民族の美徳であると高らかに謳う(自慢する)被災者以外の日本人も多かったのです。

その行動様式自体は、社会安定上とても有効でよきこととは思います。

しかしそれは精神論的美徳というより、経済合理性ゆえに選択され、結果的に「美徳」となった習慣であるという自覚を忘れないようにしたいと思うのです。

「家」や「村」という農村社会のしきたりの中で、私たちの先祖は「信頼関係こそ最小コスト」という経済原則を無意識に学習しました。

さらに「子々孫々のため」というコンセプトは「長期的投資」と「継続の合理性」メリットを学習した結果であります。

このように考えると「経済メリット」が私たちの(美徳と見える)行動様式を生んだと言えるわけです。

ここで大事な点は、直接的な「お金」の獲得行動よりも、「信頼」や「継続」といった、一見「お金」とは無縁に見える要素が、実はもっとも「お金」を生み出す(経済的合理性が高い)ものであったという事実です。

それを私たちの先祖が無意識に学習し実践し伝承していたことは、「これからの社会」を考える上でとても参考になると思いました。

 

Category: キラっと輝くものやこと, 伝えたいこと, 新しい農業

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