小野田さんの「養生訓」

[ 0 ] 2014年2月27日

小野田寛郎さんの遺作となった『生きる』に、このような問いがあります。「あなたにたずねたい。一番大切なものは何か」

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先月逝去された小野田寛郎さん。

彼は終戦を知らず30年もフィリピン・ルバング島で生き抜きました。

エリート情報将校であり、任務遂行を果たすべくジャングルに潜み続けた小野田さんゆえ、その本はさすがに軍人的視点で書かれています。

実は昨日FBで知ったのですが、小野田さん潜伏には別の理由があったという記事を読みました。

→40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」

真偽は私にはわかりませんが、どのような理由であるにせよ「戦争は人の運命を狂わせる」ということに間違いはないと思います。

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しかし『生きる』をよく読めば、すべての人間に通じる「生きること」そのものを書いた本であり、自らの過酷な体験に基づく深い洞察は、今を生きる私たちにそのままあてはまるように思います。

貴重な「養生訓」であるともいえます。

本書では「生きる」ことの原点である「食事」や「健康」について多くのページが割かれています。

「野性」を取り戻すべき今の時代にこそ貴重な話と思い、しっかり胸におさめようと思います。

(タイトルが付いた記事は本書で囲み記事になっているものです)

健康が宝、最大なる武器

あなたにたずねたい。

「一番大切なものは何か」と。

それがわかっていれば、どんな困難にも立ち向かっていける。

私は「健康」と答える。

どんなことがあっても、何が起きても「健康」という宝があれば乗り越えることができるのだから。

あの劣悪な状況においても私はくじけなかった。

そのためにも、日々、自分の健康には心がける。

生きる上での最大なる武器は

「健康」。

 

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帰国した当時、彼は母国の「食べ物」にショックを受けました。

 ・・・こうした常に警戒心を抱いているという緊張感が、自ずと競走馬のような体質を要求したのだろう。

ジャングル生活の中で私は、カロリーが高く少量ですむ食物をとるようになり、そのうち運動量に応じただけしか口に入らなくなった。

それでいて少しも空腹を感じなかった。

日本に帰還した直後の健康診断では、まったく異常はなく健康体であった。

どうやら自然の中で生活していると、味覚も鋭敏になるらしい。

日本に帰ってきて、久しぶりに鮎の塩焼きを食べてみたら、脂臭くて食べられなかった。聞くと養殖だという。

それならと鳥の唐揚げを頼んだら、今度は糠(ぬか)臭かった。養鶏場の餌か何かなのだろうか。

かろうじてハモだけは昔通りの味でうまかった。養殖できないからだろう。

私も偉そうなことは言えないんですが、今の食べ物について嫌悪感を抱くときがあります。

その第一番は「化学調味料」。

小さい頃に砂糖と間違えスプーンで口に入れてしまいました!

そのときからのトラウマで、今でも身体が拒絶反応を示します。

ところが現代では、調理食品や菓子類のみならず、味噌や醤油、みりんなどにも平気で化学調味料を混ぜこんだ商品が流通しています。

びっくりするのは、そんなまがい物の醤油のくせに「品評会優勝」いうレッテルが貼られているものさえあるのです。

それとコンビニで売ってる食品の裏に貼ってある成分表シール。

「あなた、これでも食べます?」って脅かされている気がします。

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小野田さんの話を続けましょう。

「栄養素必ず身につくとは言い難し」という体験談です。

 ・・・牛を殺した二、三日はビフテキや焼き肉を腹いっぱい食べた。

カロリーが高すぎるせいか、足の裏まで熱くなり、歩くと息が詰まる。

頭がボーッとして力が入らなくなり、木にも登れなくなる。

そこで、青ヤシ(ヤシの未熟なもの)の水を飲んで、野菜がわりにした。

 ・・・こうして自分の身体をモルモットにしながら、肉がこのくらい、ヤシがこのくらいと加減してみて、やっと常食にできるものが出来上がった。

何日間も同じものを食べていると、だんだん力が抜けて、体が細ってくる。胃は痛まず、消化が良くて、便通も正常だが、細ってきたのは栄養が足りないわけである。

そこで、短期的に下痢などでお腹の調子を点検し、長期的には、内股の肉の付き方を見て、自分の身体が肥えているか、痩せているかをチェックする。

こうして自分の健康状態をチェックしながら、毎日の食事の量を決めることができるようになった。

彼は「食事についての工夫」と「様々な状況の中で生き続けること」は、まったく等しいものだと語っています。

食のレパートリーと知恵

食のレパートリーは、そのまま日々の生き方と同一の考えが形になる。

「ある素材」をいかに生かすか。

この「状況」をどう受け入れるか。

すべて、物ごとの考え方、成り立ち、工夫は同じである。

現代では塩分の摂り過ぎが問題になっていますが、小野田さんは塩のありがたさについてこう語っています。

 ・・・人間は、まず水と塩があれば、最低限生きる条件が整っているような気がする。

私たちは塩を『魔法薬』と呼んでいた。

「今日は寒いから、ひとつ魔法薬でも使うか」

と、食事にほんのひとつまみの塩を入れる。それだけで味が違い、体力が回復した。

時には、雨で冷えた体を温めるために、飽和状態の食塩水を飲んだこともある。

 

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自分の健康状態を管理する大切さを語る文章には身につまされるものがあります。

自分の五感で生きることを発見する

人を人たらしめている唯一のものは五感。

これは「人間」が人間らしく生きる神からの贈り物だ。

五感が欠落すると、生きることは苦しくなる。

この過酷な劣悪な状況で最後まで闘う気力が失せなかったのは、五感のおかげである。

 ・・・この正しい情報を得るためには、五感が研ぎ澄まされていることが重要だ。

とくに自然の中では、この感覚がにぶると命取りになる。

自然界にない音がすれば、敵が近くにいる証拠だし、かといって、敵は人間だけとは限らない。

ジャングルには恐ろしい生き物がうようよいる。

こういうことを考えると、私たちは本当に打てば響くように澄んだ頭と感覚で、日常のことに当たらなければならない。

常日頃から、冴えた頭と五感を健全な状態に維持できるよう、注意しておかなければならない。

「24時間働けますか」とか「モーレツ」とかの仕事中毒は、小野田さんに言わせれば人生という戦場では「最悪の戦法」であることでしょう。

それは無謀な「討ち死に」「犬死に」につながりやすいからです。

 自分の健康状態が悪い、たとえば睡眠不足とか、空腹とか、慢性的に体力が低下している場合、自分の頭脳で正しい判断ができない場合がある。

そういう状態に置かれると、目的を忘れて、敵の目の前で命がけの喧嘩をしようとしたりする。

こういうことはよほど気をつけなければならない。

そうならないために、普段から自分の健康状態を管理しておかなければならない。

小野田さんが30年間のジャングル生活で熱を出して寝込んだのは、親友の看護疲れによる二回だけだったそうです。

過酷な環境の中で健康を維持できたのは、まさしく「生きる」ということこそ生き物として、人間として、軍人として究極の目的だと強く理解していたからでしょう。

(本文にも「『死ぬくらいなら、捕虜になっても生きろ』それが情報将校の務め」と書かれています)

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『生きる』は決して政治的、軍人訓的な解釈だけをされてはならぬ本だと思います。

私にとってこの本は、すべての人間が本来持っている「生き物としてのたくましさ」への賛歌のようにも思えます。

本の末尾はこの文章で締めくくられています。

  人間、目標があれば生きられる。

もし、絶望の淵に追いやられたら、どんな小さなことでもいいから目標を見つけることだ。

死を選んではならない 。

なぜなら、人は「生きる」ために生まれてきたのだから。

→小野田寛郎「生きる」より

ノボ村長

Category: キラっと輝くものやこと, 伝えたいこと, 大切なこと, 工夫したこと, 思いがけないこと

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