昔のベンチャー社長

[ 0 ] 2017年3月22日

先日、オムロンの創業者立石一真さんの名言がネットで紹介されているのを見ました。

一世代前の経営者というのは、その「魂」も「器」も私たちとは一回り違うな~とつくづく感じます。

(一回りどころか二回りも三回りも違ったまま、まもなく退職の私です。。。)

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職歴多彩な私がはじめて就いた仕事は、オムロングループのメンテナンス会社でした。

風来坊の私でしたが、あれこれの事情でついに仕事に就かないとまずい状況になり、親戚の紹介で入った会社でした。

超文化系の私が電子機器やシステムのメンテナンスに携わることになったのですが、その当時から今に至るまで、友人たちはその無謀さにあきれかえり今でも笑い話になっています。

それでも昭和50年代初めの電子業界は次々と新しい製品やシステムが開発され、もともとSF好きの私にはとても魅力的でした。

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特にオムロン(当時は「立石電機」)はベンチャー企業ともいえる存在で、日本で初めて発明された製品がたくさんありました。

交通管制システム、現金自動支払機、預金機、自動改札システム、カード入退室システム、ネットワーク型POSシステムなどなど。

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オムロンは、もともとリレーやタイマー、センサーなどの制御機器メーカーとして国内トップクラスの会社でした。

ですから工場関係の機械をはじめ多くの機械の蓋を開けてみると、必ずこのメーカーの何らかの部品が組み込まれていました。(今でも)

その基盤を活かして、創業者の立石一真さんが「サイバネティクス」の思想を基にして様々なシステム開発に挑んだんですね。

同時代(昭和40年代頃)、当時故障率ワーストワンの電話機メーカー「富士通」が、池田さんという天才一人のもとに、その部品技術を活かしてIBM互換大型コンピューター開発に挑んだのと同じような系譜です。

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そのころ毎年編集される中央研究所の研究・製作レポートを読んで、その斬新さにとてもワクワクしたものです。

あるときこの冊子を読んでいてとてもびっくりしました。

それは、巨大なアナログコンピューター「東洋医学物理療法自動診断機」というものでした。

あまりに特殊な機械なのでインターネットを探しても情報はほとんどありません。

唯一見つけた写真がこれです。

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この機械について書かれた記事のことは今でも鮮烈に覚えています。

コンピューター=デジタルの既成観念を打ち破り、オペアンプというアナログ素子で構成されたこの機械は、実に発想が逆転していました。

読み進むうちに、なにゆえこのように独創的な、ある意味(コスト的に)無謀ともいえる機械が作られたかを知りました。

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オムロン創業者の故立石一真氏は、苦楽をともにしてきた最愛の奥様を癌で亡くされます。

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それは彼の心に大きな変化を生じさせました。

そのときから「企業は社会の公器である」という考えのもと、「人々の健康に役立つ製品」をつくるという新たな使命感が芽生えたのです。

そして、東洋医学と科学技術を結びつけたいという理想のもとに製作された機械がこの「東洋医学物理療法自動診断機」でした。

ただし、あまりに特殊で実用に供されることはなかったようです。

ビジネスとは不思議なものです。

商用とはなりませんでしたが、この機械の思想から現在のオムロンの健康医療事業が芽生え、現在もっとも知名度のある事業部門として育っていったのです。

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思えばこの頃は毎日がびっくりするような発明製品のラッシュでした。

末端で働く私たちも、何か「プロジェクトX」の世界のような高揚感をもって仕事をしていた気がします。

しかし性能は理想に追いつかず、調整や修理にあたる私たちには昼も夜もない大変な仕事でした。

でもこの頃の同僚とは戦友のような付き合いが続き、今に至るまで大きな力を貸してもらっています。

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現金自動支払機では(ローラーがスリップして)余計に札が出てしまったり、交通管制システムなんかは夜中の出動もずいぶんありました。

初期のMOSーICは湿気にとても弱く、制御扉を開けただけでも湿気による誤動作をすることがありました。

ある日、新しい駐車場システムの不具合が我々では対処できなくなってケツをまくったら、開発チームが中央研究所から来て、野外の駐車場にテントを張って何日も寝泊まりしながら調整したことがあります。

このときは俺たちの苦労思い知ったか、ざま~みろと溜飲を下げたものです。

彼らはもっと大変だったろうに・・・なにせ私も未熟者でしたから。

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オムロン(立石電機)の社憲も私はとても好きでした。

「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」

問題あるのは承知で、私の会社の経営理念の中でこれに似せた文章を使わせてもらっております。

→株式会社レッツ経営理念

立石一真、松下幸之助、盛田昭夫氏なども創業当時はみなベンチャーでした。

しかし彼らの企業哲学や製品コンセプトは、現代のベンチャーとよばれる人とは格段の差があるように思います。

人生観というか、倫理観というか、魂というか「人間力」のところですね。

その思想レベル、人格レベルの差が日本の現状につながっている気がしてなりません。

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立石一真氏の語録を紹介します。

「最もよく人を幸福にする人が、最もよく幸福になる」

「できない、ではなく、どうすればできるか工夫する」

「改善の余地があるならば、まずやってみる」

「面白い、やれ!」

ちなみに「大企業病」というのも彼の造語です。

by ノボ

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